日本財団 図書館


1. ポーランド造船業の概況

 

ポーランドの造船業は数百年に及ぶ伝統を誇り、特に1850年代頃から目覚しい発展を遂げた。しかし1793年から1945年に至る期間の大半は、ポーランドの現領土のうち大部分がドイツに属していた。当時のドイツの領土は、18世紀末期以降の侵略的な対外政策により、現状よりもかなり広いものであった。

第1次世界大戦の講和(1919年ベルサイユ条約)によりヨーロッパの地図は書き換えられた。ポーランドはバルチック海に通じる細長い地域の領有権を認められ、グダンスクはポーランドが支配する自由都市としての資格を与えられた。しかしドイツはオーデル川の東側に大きな領土を保持し、現在ポーランドの主要造船地域の一つであるシチェチンはドイツの統治下にとどまった。その結果、同市の造船所は大戦中の空襲で大打撃を蒙り、1945年の戦争終結後、大規模な再建工事が必要となった。

第2次大戦後、ポーランドはコメコンに加盟し、ソ連圏に密接に結び付くことになった。共産党政権の下で再建、再編成されたポーランド造船業では、1990年までの40年間、ソ連および東欧の船主向けの建造が大きな比重を占めた。特にポーランドの造船所はソ連向けの漁船を大量に建造した2。また、ポーランドは艦艇も積極的に建造したが、ワルシャワ条約に加盟していたため、NATO諸国からの艦艇受注は不可能だった。

 

竣工量:

1975年にポーランド造船業は年間建造量の新記録となる99隻740,000GTの商船を竣工させたが、翌年にはヨーロッパの他の11カ国がこの記録を破った。1970年代末期以降、世界的な新造船需要の落ち込みにより海外との競争が激化し、国内造船所近代化の必要性からポーランドの竣工量は大きく低下し、この状況は80年代を通じて変らなかった。ポーランド造船業は次いで80年代末期にも深刻な低迷に陥り、90年代にはわずか51隻140,000GTの竣工を見るに過ぎなかった。

しかし1991−98年の時期に、ポーランド造船業が力強い回復を見せたことが特筆される。

 

2 後述するようにソ連向け漁船建造の経験が、その後のポーランドの各造船所が冷蔵船受注に成功する上で、決定的な要因となった。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION