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10. 90年代に竣工量が回復したが、これは91年1月以降ポーランドにおける造船助成が全面撤廃され、しかもコメコンの同盟関係が解消され、世界市場に新たな顧客を求める努力を迫られたという逆境の中での好転である。

11. 共産党政権が造船所に公約していた補助金が受けられなくなったことは、1990年代初期に受注した工事の多数が赤字になることを意味した。国内3大造船所はいずれも深刻な経営難に陥り、債務の繰延べ交渉を余儀なくされた。

12. 経済的要因―1989−90年の悪性インフレ、きわめて高い金利水準、その後の(95−96年)の平価[ズローティ]切上げ―が造船所の直面する難問をさらに深刻化させた。

13. その他の問題としては、造船設備近代化と人員削減の必要性などがあった。人件費は未だ低水準とはいえ急上昇を示し、一方、労働者の生産性は主要造船国にまだ遠く及ばなかった。

14. ポーランドにおける資本市場の未発達、銀行システムの不備により、90年代初期には船舶金融と信用保証が需要に追いつけなかった。そのため大手造船所は、必要な資金の確保を西側の銀行に頼らざるを得なくなった。

15. ポーランド造船業では3大新造ヤード、すなわちシチェチン、グディニア、グダンスクの各都市に立地する造船所(それぞれStocznia Szczecinska, Stocznia Gdynia, Stocznia Gdanska)が主力を占めている。中小造船所もいくつかあるが、外航貨物船の建造能力を備えたヤードはわずかに過ぎない。

16. Stocznia Gdanska(グダンスク造船所)は1996年に破産を宣告されたが、グディニア造船所(持分95%)とEVIP Progress S.A.(同5%)から成るパートナーシップにより1億1,500万ズローティ(3,200万米ドル)で買収された。シチェチン造船所が参加したコンソーシャムも買収に名乗りを上げたが、不成功に終った。

17. グダンスク造船所の新オーナーは設備の広範な近代化と雇用の確保を迫られた。リストラの一環として造船所の敷地の一部を再開発のために売却した。

18. シチェチン造船所はコメコンの同盟関係の解消により特に打撃を受けた。東欧圏船主からの受注に他の造船所よりも大きく依存していたためである。

19. シチェチン造船所は現在、中型コンテナ船、オープン・ハッチ式ハンディマックス型撒積船の他、ケミカル・タンカーやプロダクト・タンカーを建造している。しかし最近では、RO/RO船と溶融硫黄専用船も受注している。

 

 

 

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