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問題解決には相当時間がかかると見られたため、最終的に1998年5月、丁度大統領が1998年から2003年まで再選された人民党大会の2ヵ月後に、多数の学生によるデモがスハルト大統領とその閣僚を辞職に追い込んだ。政治的無秩序と政治危機はスハルト大統領の失脚後にさらに発展した。憲法では副大統領が新大統領として行為することができるよう規定されているが、唯一総選挙だけがインドネシアを無秩序と不安定の間際から救うことができるような状況であった。

国民の政治改革の要求を満たすため、ハビビ政権は民主主義、人権や経済・社会的公平といった分野で彼の前任者とは全く異なる政策を実行した。表現や出版の自由が容認され、人権法の制定と立法機関の民主的選挙を含むあらゆる活動における民主主義の導入が実施された。そして、48の政党が参加する予定の総選挙が準備された。

経済分野では国際通貨基金、世銀、アジア開発銀行やインドネシア援助協議会(CGI)の加盟援助国の支援で、インドネシア緊急経済再編計画が合意され、実行に移された。1998〜99年度に約120億米ドルの支援が食糧供給と社会安全保障プログラム(失業、教育、保健等)のために割り当てられた。1998年に、経済状況はインフレが約79%、銀行預金金利が約65%、経済成長率が約マイナス13%、ルピアの対米ドル為替レートが17000と最悪期を迎えた。

総選挙に関して政府内部で長期間討議が行われた結果、1999年6月に総選挙が行われ、48政党が選挙に参加した(前スハルト政権の時代は3政党のみであった)。その結果、5政党のみが十分な得票数を獲得することができた。スハルト時代には不公平な扱いを政府から受けていたインドネシア民主党(PDI-P)が第1政党となり、スハルト時代に常勝していたゴルカル党が3位に敗退した。

1999年10月、新大統領(PKB党のワヒッド・アブドラチャマン大統領)と副大統領(PDI-P党のメガワティ・スカルノプツリ氏)が選出され、1週間後に新内閣が発表された。アチェやイリアンジャヤ州の独立運動やアンボン州の異教徒間抗争など解決すべき政治的問題は依然としてあるものの、比較的安定した政治的状況がもたらされた。

1999年度の経済状況は経済指標を見るかぎり、1998年度より回復を示している。インフレ率は5%以下に抑えられ、銀行預金金利は約12%、経済成長率は約0.23%、ルピアの為替レートは米ドル対比7000前後と回復している。2000年度の経済状況については、経済成長率が3〜5%、インフレ率が3〜5%、銀行預金金利が約11%、ルピアの為替レートは米ドル対比6,500〜7,500といった楽観的な成長予測が大勢を占めている。

 

 

 

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