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第1章 インドネシア海事産業の現状

 

1.1 インドネシアの政治・経済状況

インドネシアは1969年に最初の5ヶ年経済開発計画を導入した。これは1945年の独立以来、はじめて経済開発のために着手した措置であった。比較的安定した政治情勢において、国際通貨基金(IMF)、世銀、アジア開発銀行(ADB)、インドネシア援助国会議(IGGI)、インドネシア援助協議会(CGI)に参加する援助国の支援に基づいて、第1次から第6次までの開発計画が導入された。1997年まで、インドネシアは年率約7%の経済成長を享受してきた。1969年に90米ドルであった国民1人あたりのGDPは1997年には約1200米ドルに増大した。しかしながら、当時の政治的安定は中央政府の以下のような政策に基づいて達成されたものであった。

− 表現と出版の自由の規制

− 人権の軽視

− 政府野党の存在の否認

− 選挙に勝つため非民主的手段の実践

 

後程、インドネシアが危機に直面した際、すべてのこれら非民主的政策は政府に反対する野党の大きな力へと発展したことで証明された。経済発展において、主にその政策は経済成長に向けられ、年率約7%の成長を達成したにもかかわらず、発展による富の分配は極めて不均衡であった。地方政府はその地域の天然資源が中央政府に吸い取られたと嘆き、地方の経済発展は遅々として進まなかった。

国家経済は少数の財閥や政治的エリートの親族やクローニーなどの手に握られ、ほとんどすべての経済活動を独占してきた。この状況は大統領自身もその親族やクローニーと実践してきたことを含めて、あらゆる階層の政府省庁、法定機関や法曹会まで汚職、腐敗、縁故主義で助長された。経済成長は1997年7月時点で1600億米ドルにも及ぶ政府と民間企業による巨額な外国借款により達成されたものであった。

「持つ者」と「持たざる者」の格差は拡大し、国民の間における不満の源泉となり、政府に対する威信喪失と憤慨へと発展した。社会不安の条件は熟し、1997年中旬のタイと韓国における通貨危機に触発され、インドネシアも米ドルに対するルピアの切り下げによる通貨危機に襲われた。

危機は長期化し、経済危機へと発展した。インドネシアは1997年末時点で約2000億米ドルの外国借款に悩まされ、多くの企業は倒産し、失業率も急激に増大し、食料や医薬品は高価なものとなり、株式市場は下降の一途を辿った。社会不安はいたる所で起こった。

 

 

 

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