私は今、思った通りの試合ができないから、やめたいと思った自分を情けなく思います。これは自分の弱い心に負けてしまったと言う事です。だから私は、心の強かった昔の私に戻る為、真剣に練習を積み重ね、どん底から上へ、上へとはいあがっていこうと思う。人間は気持ち次第で変われるのですから。
剣道とは、人間によって考え方がそれぞれ違います。私の剣道とは、自分に自信と勇気を与えてくれた、大切な武道、礼儀作法を学ぶもの、友情を深めあうもの。私はこれから、もっとたくさんの剣道を知るため、数多くの練習を積み重ねてゆきます。
私は、もう一度皆さんに言います。私の夢、それは、もう少しで掴めそうで掴めなかった全国優勝をする事です。
剣道、それは、人間を変える力をもつもの。本当に不思議なものだとつくづく思います。
私はこれからも、頑張り続ける事を誓います。
『一期一会のこころ』
福島県須賀川市
振武館
中学一年生
大室拓哉
僕の中学校の剣道部の手ぬぐいには、「一期一会」という文字が染めぬかれています。僕は最初、この言葉の意味はもとより、読みかたすらわかりませんでした。母に聞いてみると、この言葉は、もともとは、昔の茶人千利休の弟子の宗二が言った茶道の心得で「この出会いは、生涯たった一度きりの出会いかも知れないという事を常に心に留めて交わりをもつべきである」という意味で、一生に一度きりのことをあらわす言葉だということでした。剣道部になぜ茶道の心得が関係するのだろうと、僕は不思議に思っていました。
今年の春のことです。一人の外国人の男の子が、お母さんに連れられて、僕たちの道場に入団の申し込みに来ました。その子は、アメリカに住んでいる小学一年生のジョー君といいました。お父さんはアメリカ人、お母さんは僕の住んでいる須賀川市の出身で、故郷である日本をジョー君に忘れないでほしいという思いから、毎年、桜や牡丹の花が美しいこの時期に、日本に帰って来るのだということでした。以前ジョー君のお母さんは剣道の試合を見て感激し、どうしても息子に習わせたいと思ったそうです。しかし、ジョー君の住んでいる町の周辺には、剣道を教えてくれる所がないので、日本にいる三週間の間だけ、僕たちの道場で剣道を習いたいというのです。それを聞いて僕は、たった三週間で何ができるのだろう、やるだけ無駄なのではないだろうかと思いました。しかし、先生は入団を認めました。稽古を始めると彼は一生懸命でした。先生も、他の団員と同じように真剣に教えていました。三週間では防具をつけての稽古というわけにはいきませんでしたが、あっという間の日々を同じ団員として共にすごし、彼が帰国する時に、先生は、アメリカでも素振りができるようにと竹刀を持たせてあげました。彼はアメリカへ帰ったらもう剣道のことは忘れてしまうかも知れません。しかし、この短かい間だけの団員に対しても、平等に、真剣に毎日剣道を教えていた先生の姿に、僕は「一期一会」という言葉を思い出しました。