僕も中学生になり、勉強面、生活面で悩み事も多くなってきました。今の自分を剣道を中心として見つめると、これからの自分の進みたい方向が少し見えてくるように思いますが、不安も多分にあります。
そんな僕の一つの目標は、道場の稽古は、休まないと言う事です。僕は、今、徳島錬心館と言う伝統ある道場に通っています。この道場での稽古は、礼儀から厳しく僕達生徒は一般の先生方の中に入って稽古を行います。先生方との稽古には常に緊張感があり、厳しく指導して頂く中で、充実した稽古となっています。でも、そうした厳しさの中で、先生方は、僕の体を気遣ってくれ、僕に声を掛けてくれます。「大丈夫か」、「まだできるか」などいつも気遣いと、やさしさを見せてくれる、すばらしい先生方です。体作り、体力作り、病気を治すために始めた剣道なのに、いつの頃からか真剣になり、勝負を主とする剣道に変っていました。ぼくの喘息は、まだ治った訳ではなく毎日、朝晩5種類の薬を飲み、吸入器という機械を使って吸入を行わないと、僕の生活は始まらないのです。以前に聞いた話しですが、剣道を続けて喘息が治った人がいると聞いた事があります。喘息には、腹式呼吸がいいそうです。剣道は、自然のうちに腹式呼吸になっているから僕の喘息もきっと治ると思っています。僕が今日まで剣道を続けてこれたのも全て先生方の厳しい中にも暖かいご指導と両親は元より、祖父母の愛情と応援のおかげだと思い感謝しています。
僕は将来、剣道の精神を生かし、警察官になりたいと思います。これからも、どんどん稽古に励み身心ともに鍛え、自分が受けた思いやりの心をだれかに分けあたえられるような、りっぱな人間になりたいと思います。
僕は剣道が大好きです。
『剣道が教えるもの』
東京都中野区
武道学園純正館
中学三年生
管偉辰
「剣道は礼に始まり、礼に終わると言う。いくら剣道の試合が強くても、礼儀をおろそかにしたものは、棒振りダンスと言い、剣道とは呼ばない。」
純正館の先生方は、いつもこう言って私達に教えて下さいます。
私が剣道を始めたのは小学校五年の時です。当時の私は目つきが悪く、言葉使いも乱暴でした。そこで両親はそういった私の態度を直させるため、私に剣道を始めさせたのです。始めは、竹刀で叩き合って痛そうだ、とか防具は重そうだ、とか悪いイメージが先行したので、出来るだけ剣道を避け、さぼる事ばかり考えていたように覚えています。しかし私は、純正館での教え、例えば靴の並べ方・目上の方に対する礼儀などを知らず知らずの内に身に着けていました。そのためか、最近私の身のまわりの方々が私の事を、昔と随分変わったと、仰って下さいます。そして私はこの点で剣道にとても感謝をしています。
最近、社会全体に昔の私のようにやる事が粗雑で礼儀知らずな人間が増えているように感じます。自らの親に向かって平気で暴力を振るったりひどい言葉で呼び捨てにしたりするのです。そういった人を見たり、話を聞いたりすると、私はいつも悲しくなります。そして何故このようになってしまったのか考えました。今日の親達や学校の教育が、目に見える学力を中心に置き過ぎ、子供の人間的成長を促すという重要な役割りを忘れかけてしまったためではないだろうかと私は思います。