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『心の貯金』

 

北海道室蘭市

室蘭琢心館

小学五年生

松原正明

 

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おそく結婚した両親の一人っ子として育てられたぼくは、身の回り全部母まかせの生活で、言われなければ自分から進んでやろうという気持は、ありませんでした。そんなぼくを見て、母は自分の考えでやれる心の強い丈夫な体を作らせようと、剣道をやらせようと小学一年のとき琢心館に入館させられました。

初めの一年間は、とても楽しい練習でした。館長先生から、防具をつけてよいと言われた時は、すごくうれしかったです。いざ、防具をつけてみたら、暑いし、重いし、何でも母まかせだったぼくは、面のひもが思うように結べず、うれしい半面続けて行く自信がなくなりました。週三回の練習はとてもつらく、わざとねたふりをしたり、学校からおそく帰って来て、「今日はつかれたので剣道を休む。」と言っては母を困らせていました。そして三年生になり、道場内の練習試合や、地域の学年別選手にも、出してもらえるようになりましたが、いつも一回戦負けでした。

でも、たまに勝つた時のうれしさは、大変なものでした。「正明飛べ、ガンバって遠くへ飛ぶんだ。」先生の大きな声が、ぼくにかけられます。ぼくは、館の同期生の中でも、一番背が低いのです。だから相手と同じ間合いから打っても飛び込むきょりが短いので、相手にとどかないのです。そして、相手に打たれてしまいます。そんなぼくに先生が、「面より近い小手打ちの練習をして見ろ。」と、打ち方の指導をしてもらい、小手打ちの練習を一生けん命にやりました。でも、やはりとどかず相手に小手、ぬき面を打たれて、失神したこともありました。

何とかして勝ちたい、そして、一回でも入賞したいと思っていた時、先生が、「正明、外の人と同じけいこをしていても選手にはなれないぞ。強い選手は、人の見ていないところで、一生けん命努力しているんだ、ガンバレ。」と言われました。そうか、みんなと同じことをやっていても背の低いぼくは、いつまでたってもみんなには勝てないんだ!と思い、家で毎日すぶりと飛び込みの練習を始めました。

四年生の夏、地域神社の少年剣道大会で、初めて二位に入賞しました。両親は大変よろこび「練習したかいがあったね。」と、言ってくれました。しかしまだまだ先生のきびしさはゆるみませんでした。悪い所は、何回もくり返しをさせられ、教えられた通りにやらないと竹刀でおしりにあざが出きるほどたたかれ、先生をうらんだことがあります。そんな時母は、「正明、先生はにくくておこるのではない。正明のことを思っているからだよ。このあざは愛のむちだと思いなさい。今、子供のためにしんけんにおこってくれる大人が少ないのに正明は幸せ者だね。」と、言いました。ぼくもそう思います。

今のぼくは前とはちがいます。面の中でこぼれ落ちるなみだをこらえながら、きびしいけいこにたえました。そして飛びこみきょりも十センチメートル、二十センチメートルと伸びて相手の面にもとどくようになり、小手を打てるようになりました。そしてまだ優勝はしたことはありませんが、地域の青少年剣道大会では、常に三位以内に入賞できるようになりました。

途中で何回もくじけそうになったぼくがここまで続けてこれたのは、家から道場まで往復二時間近くの道を一緒に通ってくれた母、そして、「子供の時の努力は大人になった時に使える心の貯金なんだよ。

 

 

 

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