「さいしょ、自分で『やる』ときめた、一つのこともつづかなかったら、ほかに何かつづくだろうか…?」
「やっぱりやる。とにかく二年間がんばって見る。」
ぼんやりとした気持ちを入れかえたぼくは、それからは、せっきょくてきにれん習にがんばりました。うまい人の動きも、目でおいかけました。気もちがかわると、「れん習」が楽しいと思えました。その内、ほんの少しですが、「けん道」の中での、自分や他人のよいところ、わるいところなども見えて来ました。
がんばってれん習して来た「二年はん」をすぎた今では、まようことなく「けん道」が好きになり、そして今では自分から、はなれることが出来なくなりました。
「やっぱり、つづけていてよかったなあ…。」
今、そう思っています。
これから先も、ぼくは、あつい時も寒い時もがんばってれん習します。そして「き本」からはずれることなく、「けん道」が、もっと、もっと、うまくなりたいと心から思っています。
学校で、毎日のじぎょうの時、先生の話を聞かないで、ザワザワ、ペチャクチャさわいでいる人たちがいます。何回、ちゅういされても、「人の話を聞けない人」が、何人かいます。
ぼくは、「けん道」のれん習のおわりに「もくそう」する時間、学校でのことも、よく思い出します。
「人の話を聞いて、よく考えて、はんせいすること。」
も、けん道のれん習の中で、「けん道のわざ」と一しょに、ぼくが教えてもらった、とても「大切」なことです。
『剣道を通じて学び、そして得たもの』
千葉県柏市
柏武道館
小学六年生
島崎玄志
ぼくが剣道を始めたのは、小学校一年生のときでした。赤ちゃんのとき二回もおなかの手術をしたぼくに、「何とかじょうぶな子になって欲しい」ということで、父さんが剣道を習わしてくれたのです。今年の四月ぼくは、父さんの仕事の都合で、それまで住んでいた愛知県から千葉県に引越してきました。五年間通い続けてきた道場と剣道を教えてくれた先生、そしていっぱい思い出を作った道場の友達とお別れしました。
道場のみんなが最後にお別れ会をやってくれて、そのとき「思い出に」と言って寄せ書きと新品の竹刀をくれました。寄せ書きには、「玄志、千葉県に行っても剣道がんばれ」とかいてありました。さみしくて涙が出ました。みんながくれた竹刀を握りしめながら千葉県に来る途中「もうこの竹刀を使うことはないのだろう」と思っていました。
千葉県に来たばかりのぼくは、知らない友達や学校などの不安でいっぱいでした。そんなとき、いきなり父さんに「玄志、こっちでも剣道やるか」と聞かれたときは、びっくりしました。一瞬迷いました。自分ではもう剣道のことはあきらめていたし、知らない子がいる道場ではやっていける自信がありませんでした。でも、前の道場の仲間の寄せ書きに書いてあった「玄志、千葉県に行っても剣道がんばれ」という言葉を思い出し、勇気を持って「うん、やる」と答えました。