二人の弟も剣道に参加するようになった今では、家族で剣道ができることが一番楽しいし、私に少しきびしいけれど、それがなぜかうれしくて、ファイトがでてきます。
また、家の中では剣道の話をすることが多くなりました。何の問題がおきても最後はいつも剣道の話になって終わります。でも、私はこんな家族が大好きです。剣道によって家族が一つになっているこの空間がずっと大切にしていきたいと思います。
私の夢は、この家族でチームを組んで大会にでることです。きっと楽しい試合になるはずです。それまで、この家族のなかでいっしょうけんめい剣道を続けていきたい、そして家族と共に学んだ剣道で社会に役立つ人になりたいと思っています。
『「けん道」に学んで』
大分県大分市
青竜館
小学二年生
伊妻凌於奈
ぼくは、ようち園の年長の時に「けん道」をはじめました。今年、小学校二年生になったので、「けん道」をはじめて、ちょうど二年たちました。
一、二、三、四、めーんと、すぶり、すぶりの「き本れん習」にがんばった、さいしょの一年間は、
「いつか、ぼくも『し合い』に出られるかなー。」
と、心の中で、少し心ぱいしていました。
一年生になって、はじめて「し合い」に出ました。それから「しょう級しけん」も、うけました。秋には、地いきの「けん道クラブ」と、し合いもしました。
ぼくが出た「し合い」は、ほんの少しです。だから、「し合いけいけん」も少ないのですが、出る回数が、一回、二回と多くなって行くと、よそにはとてもじょうずな人が、たくさんいることに気づきました。
「し合い」の時、日ごろのれん習で、岡本先生や内田先生から教えてもらったとおり「めん」をうって行っても、なぜか、かてないことが何回もありました。
「うまい人は、なぜ、あんなにうまいのだろう。」
「ぼくは、どこが、わるかったのだろう。」
と、し合いにまけたあとや、し合いの帰りなど、ぼくは少しずつ「けん道」のことを考えるようになりました。
それまでのぼくは、時々、
「今日は、おもしろいテレビがあるから…。」
「寒いと、手や足がジンジンするし…。」
など、もう一つ、れん習に「心」がついて行ってなかったところがありました。「なんとなく」の気もちでは、「き合い」も入っていなかったと思います。
そんな時、何があっても、ずっとまじめに「しない」をふりつづけていた先ぱいを見ていたし、それよりも何よりも、
「人から言われてやるのは、くるしいばかり。自分で、すきと思えば、まじめにやること。」
と言われた家の人の言ばも、頭にのこっていました。
たしかにそうです。