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同灯浮標を右舷正横(注7)に見て、水先人は、右方に針路を転じ、250度とした。同人は、カッティハンク島の南西端の南方約2海里まで同針路で進み、そこで270度に転針して下船地点に向ける予定であったと証言した。(コース・レコーダー記録紙の分析によれば、この間の針路は255度である。)水先人は、この針路変更のことやカッティハンク島南西端を北に見るようになったとき、針路を270度に向ける予定であることのどちらも、船長にも当直航海士にも伝えていなかった。

21時48分に、新針路に向いて船首が安定したとき、二等航海士は、BA版海図2890号に船位を記入し、そしてその船位から前方に255度の進路線を引いた。水先人の進路線とナビゲーターが事前に海図に引いた進路線とには差異があった。二等航海士は、255度の進路線を延ばすと7海里半前方でブラウンズ・レッジ礁の北方、ロード・アイランド海峡に存在する浅礁地帯に引っ懸かることに気付いて、一等航海士にこのことを話し、一等航海士はこれを船長に引き継いだ。船長は、一等航海士にソー・アンド・ピッグ礁のかなり南側を通り、ナビゲーターが計画した海図上の予定進路線に乗って航行したい旨を水先人に伝えるよう指示している。21時54分少し前(針路を転じたときの正確な時刻は、甲板手の出、入航記録帳には記載されていない。また、水先人の指示した他の針路変更についても、同記録帳には残されていない。)(注9)水先人は、この要求に応じ、本船の針路を240度に変更した。船長は、“...実行すべき最善の手段は、針路を離れ南方に船首を向けることにあると思えました。”と証言している。二等航海士は、21時54分の船位から本船ナビゲーターが作定した進路線に向かって240度の線を引いた。

注7 船首方位から90度方向のこと。

注8 QE2の出、入航記録帳は私的なもので、これを基に公式の航海日を作成する。航海日誌には、主要な発生事実、例えば、旅客の交通艇の着船、抜錨、あるいは灯浮標通過など、その時刻と内容とが記録される。

主な機関使用模様、その時のジャイロコンパス指度などが、同様に記録される。

注9 QE2には、コース・レコーダーが設備されているが、ジャイロコンパス指度にもその内部時計にも誤差が生じていた。時刻については、約(-)8分の誤差があり、針路指度には約(+)24度の誤差があった。

 

二等航海士が240度の進路線を引いたあとで、同航海士は、この進路線が深度6尋半(39フィート)の地点を通っていることに気付いたが、自船の喫水が32フィートであったので、これに関心を払わなかった。同航海士は、このことを水先人にも先任航海士にも話さなかった。船長は、乗り揚げるまで海図上の深度39フィート地点の存在には気付いていなかった。水先人は、自分では、前方に39フィート地点が存在していることを“頭には入れてあった。”と述べている。同人は、確かに新しい(240度)進路線を見て、ブラウンズ・レッジ礁を離してその南側を通るのが分かっていたと話している。

 

 

 

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