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唐とこの国とは、言異(ことこと)なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことやあらむ。さていま、当時(そのかみ)を思ひやりて、ある人のよめるうた、

みやこにて山の端に見し月なれど

波よりいでて波にこそいれ

 

「土左日記」はかの『古今和歌集』の安倍仲麿の名歌「天の原ふりさけ…」を「あをうなばらふりさけ…」と改えてまで海の上での月の出を歎じ、これがみやこにあったならば、月は山の端から出て情趣ふかいものを、ここでは海から出て海に沈んでしまうと、またしても京を思って涙するのでした。

一月廿一日。「卯のとき(午前六時)ばかりに船いだす。」いよいよ待ちに待った室津を出港。折りからの春風の中、一斉に船出した船は海の上に秋の木の葉を散らしたように漕ぎ進んでゆくと、筆は軽く洒落のめして船出の喜を伝えるのです。水夫たちも船唄を歌いながら軽ろやかに櫓を漕ぎます。途中、岩の上に黒い鳥が集まって、そこに白い浪がうちつけているさまを見ると、楫取が、「黒鳥のもとに、白き浪をよす。」などと、柄にもなく風流めいたことを言い、船の中は春さきながらに久しぶりにのどかな雰囲気で、船は阿波の甲浦から日和佐へと進みます。もはや土佐は雲煙のかなたへと遠ざかり、京への旅程もほぼ半分でしょうか。

船の中はくつろいだ気分で同船の九つほどの童児も「船の漕ぐまにまに山を行くと見ゆるを見て」驚いたことにこんな歌をつくるという余裕すら生まれるのです。

 

こぎてゆくふねにて見ればあしひきの

山さへゆくを松は知らずや

 

船の動きといっしょに山も動いてゆくのだが、あの山の松は知らないだろうか、と子どもらしい感性を披露する船の旅―。

 

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●さあ、いよいよ鳴門海峡へ

廿二日。日和佐。四泊。土佐を出る時からいわれていたのですが、このあたりに海賊におそわれるという恐れありということで神仏に無事を祈ります。「北風悪(あ)し」ということで船出は出来ないのですが、海賊が追ってくるという噂で船は不安に満ちます。

 

廿六日。まことにやあらむ、海賊追ふといへば、夜中ばかりより船を出だして漕ぎくる途に、手向(たむけ)する所あり。楫坂して幣(ぬさ)たいまつらするに、幣のひむがしへ散れば、

 

海賊に会わないように夜半出航。途中神に無事を祈って幣をささげる場所で、船頭は恒例に従って幣をささげますと、幣は東を指して流れてゆきます。これを見て船頭は幸よしと急いで漕がしてくださいと意気揚々です。

船中もみな大喜びです。

 

わたつみのちふりの神にたむけする

ぬさの追風やまず吹かなむ

 

船では、神のお告げのようにこの追風よ、絶えず吹いて早く都ヘ―などと喜びのあまり歌を詠むように沸きたちます。

廿九日。正月の子(ね)の日で、京ならば若菜を摘んで祝うのですが、海の上とてこれは無理です。船はいよいよ鳴門へ向かいます。着いた所を聞くとなんとあのなつかしい「土佐」と同じ名ではないですか。京への思いを強くしながらも、土佐の名を聞くとまたなつかしく悲しくなる筆者です。

 

としごろを住みしところの名にし負へば

来寄る波をもあはれとぞ見る

 

土佐―失った愛娘への思い。紀貫之は複雑な思いを秘めて鳴門海峡を渡るのでした。

(第十三話終)

 

 

 

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