文学散歩
海の文学への旅
第13話 土左日記II
〜帰心は矢の如くだが〜
尾島政雄(おじままさお)
岡安孝男(おかやすたかお)画
●季節はずれの雪にも見舞われて
一月十一日、順調とはいえないまでも、とにかくも船は室戸岬のすぐ近く室津に着きます。国府を出てはや二十日あまり、人々の京への帰心は文字通り矢の如しなのですが、うちつづく送別の宴やら風待ちやら船は意の如くには進みません。室津に入る手前、羽根(はね)という所を通過しますが、その地名を知って同船の少女がこう歌い詠みます。
まことにて名にきくところはねならば
飛ぶがごとくに都へもがな
ここ羽根が名の通り鳥の羽であったならばその羽で早く都に飛んで行きたい、と歌ったものですが、その気持ちは船上のみんなの気持ちなのでした。
十二日以降も天候定まらず停泊です。長の船旅で女たちは海に降りて水浴(ゆあみ)をします。そもそも船出に当たっては、海神の怒りを恐れて女たちは紅濃い衣裳は着なかったのですが、航海も長くなると、そうも言ってられないのか、老海鼠(ほや)と胎貝(いがい)の交じった鮨や鮑の鮨なども食べるし、水浴する際、女たちはうっかりと衣のすそをたくしあげて、白い肌を見せてしまう、というように、「土左日記」は筆者が女であることを強調するように、女らしさの艶やかさも詳述するのでした。
天候は相変わらず不安定で船出はままなりません。「くもれる雲なくて、暁月夜いともおもしろければ」船を漕ぎ出したとたんに、「楫取(かじとり)(船頭)ら、『黒き雲にはかに出できぬ。風ふきぬべし。御船かへしてむ。』といひて、船かへる。このあひだに雨ふりぬ。いとわびし」
室津で風待ちすること早くも一週間。十七・八日も「なほ同じ所にあり。海あらければ、船いださず。さらに悪いことに、
いそふりの寄する磯にはとしつきを
いつとも分かぬ雪のみぞ降る
もはや春だというのに、季節はずれの雪も降り出すという始末なのです。
風に寄る波の磯にはうぐひすも
春もえ知らぬ花のみぞ咲く
磯には鶯も春も知らないように白い波の花が咲くばかりだ、と自嘲的に歌うのでした。
●安倍仲麿の歌に托して
廿日。きのふのやうなれば、船いださず。みな人々うれへ歎く。苦しくこころもとなければ、ただ日の経ぬる数を、けふ幾(いく)日、二十日、三十日と数ふれば、指(および)もそこなはれぬべし。いとわびし。夜もいも寝ず。二十日の夜の月いでにけり。山の端もなくて、海のなかよりぞ出でくる。
風待ちも十日を重ねると人々のいらだちもつのります。指折り折って今日までの日数を数えるだけでも指を傷つけてしまう思いがして、そのわびしさは堪えられません。
そうしたなか、その昔唐(もろこし)に渡った安倍仲麿(あべのなかまろ)という人が船に乗って異国を去る時、同じように二十日の月が海から出たのを見て、望郷の念をこうよんだのです、と綴ります。
あをうなばらふりさけ見れば春日なる
みかさの山にいでし月かも