というよりも「何をしてよいのかわからなかった。」というのが正直な気持ちです。結果論ですが、飲んだ海水を少しでも早く吐き出す処置を施していれば、肺炎にならずにすんだかもしれません。蘇生法の大切さを痛感しました。
この事故を振り返りますと、たまたまその日は、気温一〇度と低かったものの海上は五〜六メートルの風、一・五メートルぐらいのうねりで比較的穏やかな状況で、かつ日が暮れる直前等の好条件が重なったこと、乗組員皆が冷静に判断し行動できたことがよい結果につながったと確信しております。
海中に転落した時に沈まないことが第一前提であります。それを考えますと、救助にあたり救命衣、命綱をつけないで海に飛び込んだことは若かったからとはいえ、二次災難の恐れがあったわけであります。船から投げてもらった救命浮環を簡単につかむことが出来なかったらと思うと身震いを感じます。
前もって、救命衣を着用していれば、もっと余裕をもって救助にあたれたことでしょう。救命衣着用は、海難防止の基本と改めて感じた次第です。
慣れた海、慣れた仕事、慣れが一番事故を起こしやすいといえます。
自然の猛威を謙虚に受け止め、十分な準備と海難防止について今まで以上に積極的に取組む決意をもって、海難事故をなくそうではありませんか。
命に着せようオレンジベスト
岩内郡漁業協同組合
山崎政雄(やまざきまさお)
私は、岩内郡漁協で、冬はすけそうはえ縄、春からほっけ、めばる刺し網漁業を営んでいます。私が体験した事故とその防止についての考え方を発表します。
平成九年五月十日午前十一時半ごろ、共同漁業権漁場区域内におけるほっけ、めばる刺し網漁業のため乗組員一人を乗せ一六トンの自船第二十七福生丸で僚船三隻とともに岩内港を出港し、十二時ごろ漁場に到着し直ちに投網を開始しました。当日は比較的穏やかな天候、波の状態でした。
十五分くらい経過し、投網している最中、船尾をみたところ、所定の位置で投網作業をしているはずの乗組員の姿が見えないのに気づきました。
海中転落したものと判断し、直ぐ網をはずし反転、投網コースを反航しながら捜索しましたが、乗組員の姿は発見できませんでした。携帯電話で自宅に連絡し、救難所等の出動を要請しました。これにより岩内救難所をはじめ近隣の泊、盃、神恵内の救難所も救助にかけつけ、また海上保安部巡視船、ヘリコプターも加わり夕方まで捜索しましたが発見できませんでした。
翌日午前五時ころから再び海上捜索を開始するとともに、陸上からも捜索に当たりましたがこの日も発見には至りませんでした。次の日も早朝より捜索を行うも発見することができず、捜索活動はこの日をもって終了となりました。
今現在も行方不明で、時期が来ますと当時を思い出し心が痛みます。
乗組員を雇うということは、その家族も抱えているということであります。しかし、私はそのことを少し軽く考えていたような気がいたします。もし本当に乗組員、家族のことを思うのであれば救命衣を着用させるべきと思います。
救命衣を着用させてさえいれば、当時のおだやかな海面から判断して投網中の単なる落水事故で、頭をかいて「すみません!」ですんでいたと思うし、残念でなりません。
実を言うと私自身もこの時救命衣は着用しておりませんでした。着用しなくてはいけない、着用させなくてはだめだと頭ではわかっているのですが、いかんせん作業がしにくく、また暑くなれば蒸れて汗をかきやすく、気持ちが悪くなるため着用しないで沖に出てしまいます。まわりの仲間も暑いときはほとんど着用しておりません。だからといってこのままでいいとは思っておりませんでした。