第七回漁船海難防止全道大会 留萌で開催
日本海難防止協会
二年ごとに開かれる漁船海難防止全道大会は、今回で第七回を迎え、平成十二年七月二十八日午前、八百人が参加して留萌市文化センターで開かれた。この日は、雨の多かった北海道地方が好天に急転、大会も盛会裏に終了できた。
午後は、留萌沖海上での海難防止海上パレードに巡視船艇、道取締船、地元漁船が参加して晴天凪のもと華やかに行われた。
この行事の目的は、全道の浜から海難を無くすことと、オレンジベスト(救命衣)の常時着用の促進にあるが、大会での焦点は、三人の方々の海難事故体験発表、北海道十一地区の標語発表、そして安全操業宣言にあったのでそれらを紹介する。
私は、羽幌町漁業協同組合で兄のえび篭漁船の船長をしています。昭和五十八年冬、えび篭漁業操業中乗組員が海中転落し、私が海中に飛び込み救助した事例とその体験に基づいた海難防止の考え方を述べたいと思います。
昭和五十八年十二月十七日えび篭漁船第二十七長隆丸(五四トン、乗組員一〇人)の船長兼甲板長として乗組み、羽幌港より真方位三一〇度、距離約七マイル沖合いでえび篭漁に従事中、十五時四十分ごろ、最終回の投篭に入って間もなくでした。乗組員の一人が「落ちた!落ちた!」と大声で叫んで船尾から走ってきました。海中転落でした。
私は、直ぐ転落者を見失わないよう二〜三人の乗組員を見張りに立たせ、救命浮環を用意し、私自身も船を回頭しながら合羽と長靴を脱ぎ捨て飛び込む準備をしておりました。
落ちた乗組員は血反吐を激しく吐き、今にも水没しそうな状況であったため、私は救命胴衣や命綱をつける時間なしと判断し、海に飛び込みました。
本人のそばへ泳ぎ着き「しっかりしろ!」と叫んだとたんに意識を失って沈みかけたので素早く体を捕まえましたが、相手がぐったりして重い分、浮いているのがやっとでした。
直ちに船から救命浮環を投げてもらいましたが、運良く手の届くところへ来たので彼の脇の下へ何とか入れることが出来、一安心しました。それから船内に引き揚げる時も、うねりのため船のアップダウンが大きく大変でしたが、無事救助することが出来ました。
体はかなり冷え切って意識不明でありましたが、命に別状はないと思っておりました。直ちに帰港、病院に送りましたが、幸い肺炎で一週間程度の入院ですみました。後日、本人の話を聞いたところ投篭に入ったときに、エサ袋のエサが落ちていたので篭の中に手を入れて取ろうとしたが、手が抜けずそのまま篭に引っ張られ海中に引き込まれたようです。そのために、相当量の海水を飲んで思った以上に体力が長続きしなかったということでした。
私たちは、彼を救助した後、安堵感で回復させる処置を怠りました。