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柴田南雄とその作品について

富樫康

 

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国際的に有名な音楽学者

12音音楽の先駆者

 

1996年シュトックハウゼン初来日のとき、日本の作品のテープを聴きに拙宅を訪れたことがある。そのさい真っ先にリクエストしたのは柴田南雄の最近作であった。私は早速手持ちのテープの中から「金管六重奏のためのエッセイ」を出してかけたのであるが、当時すでに上昇しつつある日本作曲界の動向を、いかに関心を持っていたのかがわかる気がした。中でも柴田氏は作曲家としてばかりでなく、音楽学者としても国際的に名の通った人。その源泉は親ゆずりなのであろう。ご尊父は化学者で東大教授から都立大学学長になられた人である。

南雄は成城高校時代、作曲と音楽評論を専攻したい希望をいだいたが、当時の情勢は音楽で身を立てるには不安を感じたので、世間並みの資格だけは取っておく目的で、高校卒業後は、東大理学部植物学科に入り、卒業後は更に東大文学部美学美術史学科に進み、また諸井三郎の門を敲き、作曲を4年間習得した。そのほか東大オーケストラや鈴木鎮一の指揮する東京弦楽田にチェロ奏者として在籍、成城合唱団にも加わるなどして実際の経験をつんだ。46年には池内友次郎につき短期間フーガを学んでいる。同年戸田邦雄、入野義朗、宮城衛らとクループ新声会を結成、作曲活動に入った。

彼は最初ディアトニックな書法により作曲をしていたが、1952年「朝の歌」以来、「厭な男」、「記号説」、「黒い肖像」と完全な12音のセリーにより作曲した。いわば入野義朗と共に日本における12音音楽の先駆者なのである。

音楽学者でもある柴田が二十世紀における最高傑作に挙げたのは、アルハン・ヘルクのオペラ「ヴォツェック」と、ピェール・ブーレーズの「マルトー・サン・メートル」(主なき鉄鎚)てあるが、それでは柴田が作曲する音楽はベルクやブーレーズに接近したものかというと、必ずしもそうではなかった。その2曲は柴田ばかりでなく、専門家の間ではきわめて高く評価されたものである。

1960年に日本フィルハーモニーの委嘱で書いた「シンフォニア」は、氏かミュージックセリエールに入った時代の産物であるが、余りにも簡潔性に意を佛いすぎ、淋しい響きに終始した観かなきにしも非ず。所要時間3分半というのも、楽曲の重味をなくしている。

又1975年に昭和50年記念、中日新聞社委嘱初演された交響楽「ゆく河の流れは絶えずして」は、柴田南雄自身の音学歴を、作風の傾向を追いなから綴ったもので、演奏時間に1時間20分を要することもあって、今後部分的に取りあげることはあるとしても、全曲が再び上演される可能性はないと思う。1973年に尾高賞を受賞した大作「コンソート・オブ・オーケストラ」は戦後のオーケストラ技法を集大成したものてあり、未知の語り口を開拓する冒険は避け、これまでにほぼ定着している奏法の枠内て書いたと言う。

 

飽きのこない新鮮味、充実度が高い「メタフォニア」

 

しかしこのたび再演される84年の「メタフォニア」は85年5月25日に東京文化会館で井上道義指揮、新日本フィルハーモニーにより初演された曲で、演奏時間も14分と手頃な長さであること。多少難解ではあるが、飽きのこない新鮮味を多分に含んでいること。楽曲がきわめて精緻に出来ており、充実度が高いこと等。この程度の無調は多少進歩的な聴衆であれば、受けいれてくれる可能性があると言えるたろう。(スコアの記譜はinCで、ホルン4以外は3管編成)

 

 

 

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