物部の死霊とその転生…松尾恒一
新人神から覡子神へ―死霊の浄化
高知県香美郡物部村は、いざなぎ流御祈祷の伝承地域として知られるが、その祈祷職たる太夫(たゆう)は亡くなった後、覡子(みこ)神となり家の守護神として祀られる。覡子神となるためには、太夫による諸作法が必要とされるが、しかしながら、亡くなった太夫が、その死後、ただちに覡子神となるわけではない。死後十二年位が基準で、少なくとも七年忌を済まさなくては、覡子神とするための儀礼は執行できない。
覡子神とするためには、まず墓に赴いて霊を迎える。これを「塚起こし」というが、これによって、霊は「新人神(あらひとがみ)」となって斎幣(さいへい)に依りつかせられ、家に連れられる。ここで、オンザキ様をはじめとする守護神が祀られる祭壇に迎えられ、字号(じごう)―仏式の場合の戒名に相当する贈り名―を与えられる。太夫の生前の生業等によって、たとえば大工であった太夫の場合「神守木之内(かみもりきのうち)」「神守木之槌(かみもりきのつち)」等を含む字号を、鍛冶屋の場合には「天神(てんじん)」「小天神(しょうてんじん)」等を含む字号を、弓を用いる蟇目(ひきめ)の祈祷(西山法)等を行った猟師や、戦争に行って戦死した太夫は「小八幡(しょうはちまん)」を含む字号が贈られるのであるが、ここにおいて新人神より新覡子神(あらみこがみ)に昇格するのである。この新覡子神が覡子神となるためには、さらに三年を経なくてはならず、やはり十一月〜正月のオンザキ様の祭りにおいて行われる。
なお、塚起こしを行って先祖を迎えた後の墓所は、同じ太夫がその後速やかに塚鎮めを行った。これは、墓の守護神たる塚荒神(つかこうじん)を祀るためのものであるが、覡子神として迎えた霊が墓に戻りたがる恐れがあるので、あまりていねいな祀りを行ってはいけないという。
死者の霊が穢れの浄化を経て、守護神に転成する―覡子神誕生のシステムは、こうした信仰を基底として、高度に儀礼化された作法ということができよう。
仏のトリワケ―死霊と眷属(けんぞく)の分離儀礼
家族の者に、病気や怪我、事故など不都合なことが頻繁に起こった際には、占者(うらしゃ)に占ってもらったというが、先祖の供養が不充分だと判ぜられた場合には、これを行う前提としてまずトリワケ儀礼が行われた。
このような先祖は、死後百年を越えて、その名もわからなくなった大先祖の霊であることが多いというが、こうした死霊の場合、長い年月の間に、山ミサキ・川ミサキをはじめとする「魔群」「魔性」が寄り添い集まり、墓所にともにとどまるようになる。災いが生じるのは、これらの諸眷属が「汚(けが)らい不浄」となって、施主の供えた供物を掠め取る等の障害を及ぼすからで、従って、先祖の霊の供養に先だって、これらの魔群・魔性たちを先祖より切り離し、「山のモノは山へ、川のモノは川へ」それぞれ本来の棲み処(か)へ送り返す儀礼が必要となるわけである。
これが仏のトリワケ作法で、荒神・山の神・水神・六道・呪詛(すそ)・天下正(てんげしょう)・祓い幣等の御幣が作られ、供えの米を入れた円桶(まるおけ)に立てられて、祈りが行われる。唱え言の一節には、
花ミテグラへ、諸願成就、集り影向(ようごう)成り給え、(中略)元の棲みてう、その方角へ送り返いて、スソの名所へ送り鎮めて参らする。
とあり、障りをなす眷属たちをいったん勧請した上で、それぞれの地にお帰りいただくことが祈願される。
この際、特に六道(ろくどう)ミテグラには、大先祖の墓所を始めとする、家の全ての墓の立つ地の土が少しずつ集められ、その中に入れられるが、これは眷属に先祖の霊との縁切りをしていただくにあたってのみやげとして供えられるものという。