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山折…京都で地蔵盆を見たことがあります。子供のための盆です。かなり都会化していますが、素朴な盆行事ですね。童歌を歌って一晩を過ごす、ジーンとくるものがありますね。童歌のなかにもいろいろ心打たれるのがあります。柳田國男が印象的な子守唄の一つとして挙げているものですが、「親のない子は夕陽を拝む、親は夕陽の真中に」というのがあります。夕陽を見ていると親の面影が浮かんでくるというのですが、地蔵盆の雰囲気とどこか通ずるところがあるのではないかと私は勝手に思っているんです。「親の面影」というのは、親の魂といってもいいものかもしれないからです。

柳田國男もそういうところをみていたのではないでしょうか。今、団地に祭りを復活させようとか、地域に盆行事を戻そうとかいっているけれども、しかし根本の鎮魂の観念、タマのイメージがすでに喪われていることを考えると、それはまたまったく別のものになっていくのかもしれません。

ところで怨霊の鎮魂ということをいえば、護国神社以来、「靖国」信仰もそうだったんですね。

 

祟りの思想

 

谷川…私がどうしても理解できないのは、A級戦犯を靖国神社に祭ったことです。鎮魂と見れば理解できますか。鎮魂は仏教的でもありますが。仏教の影響がなくても、死んだら平等の世界に帰るんだという思想はあったのでしょうか。

 

山折…森に鎮まる先祖の魂ということが日本列島人の人信仰の原点だったと思うのですけど、そうだとすれば敵も味方も同じという世界があったと思いますね。ただ靖国神社の場合は、国のために死んだ英霊を祭らなければ、生き残った人間が祟られるという恐怖感のようなもの、不安のようなものが強く意識されていたと思うんです。それが背後にある。祟りの思想が根本にあると思うんです。それで歴代の首相は、靖国神社への参拝を心理的に強制され続けてきた。精神的な脅迫観念に駆られてきた。A級戦犯を祀るか祀らないかという問題はもちろんありますが、それ以上に祟り信仰の問題が深く介在しているのではないでしょうか。道真や将門のため、その祟りを鎮めるためにたくさんの神社を作り続けてきたわけですから、その伝統的なメカニズムは今日なお生きているということですね。

 

谷川…生が死か、死が生か、私の年になりますと亡くなった人と会話するほうが多いです。親しい人はだいたい向こう側にいってしまっている。すると生と死の境目はおぼろげになってくる。

 

山折…谷川さんの最近の歌にそれが多いですね。死者との語り合い…。

 

谷川…決して悲しいことではなくて、懐かしいとか嬉しいとかという感情もあるのです。夢の中に出てきて会話してみたりする。

 

山折…柳田國男にしろ折口信夫にしろ、かれらの一番最後の関心は魂のゆくえということだったのではないでしょうか。

 

谷川…その魂は、自分の魂なのか、祖先からの日本人の魂なのかどちらでしょうか。

 

山折…両方でしょう。日本民俗学がこれから取り上げるべきテーマがそれではないか。そのことを今の時代が要請している。

 

谷川…それをどういう方法論で進めるのか難しい。

 

山折…やはり最後は、文学や芸術を足場にするほかはないのではないかと思います。

 

谷川…民俗、文学、宗教の三角地帯でしょうか。三つを満足させる世界がないのでしょうか。

 

山折…西行は芸術と宗教の間を行ったり来たりしていますね。芭蕉も良寛もそうでした。

 

谷川…民俗となると心ときめく世界がだんだん少なくなってきましたね。今日はありがとうございました。

 

山折哲雄[京都造形芸術大学大学院長・宗教学]

谷川健一[日本地名研究所長・民俗学]

 

 

 

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