鎮魂―死者の弔い
山折…奈良時代から歴史書なんかに怨霊という言葉が出てきます。平安時代に入ると御霊ですね。「源氏物語」には「もののけ」がたくさん出てくる。それらはみんなアラミタマなんでしょう。祟る霊といってもいいし、現世に不吉な働きをする祟り信仰ができあがってくる。それらはもともと神道的な感覚から来ていると思います。たとえば、地上に地震や洪水などの自然災害が起きる、疫病が発生する。それによって人々が病気になったり死んだりする。そうした場合、それらの原因はなにかという病原体探しが始まる。その結果、人間の生霊(いきりょう)であるとか、恨みを呑んで死んだ霊であるとか、あるいは神の祟りであるとか神の霊の祟りであるとか、いろんな理屈をつけて診断をするわけです。そういう理屈で、人間世界に起きる異常な事件を一応は合理的に説明しようとする。そのときの病原体が目に見えない霊とか神の祟りであると考えたわけです。そういう考え方は、すでに仏教以前から日本列島にはあったと思います。そこへ仏教が入ってくると、こんどは人の霊、神の霊の祟りをどうやって鎮めることができるのかという問題がおこってきて、それに対して、仏教がいろんな役割を果たすようになるのです。たとえば密教の加持祈祷がそのような祟りを鎮める儀礼として発達していきました。神道的な祟り信仰に対して、密教の鎮魂という役割分担ができ上がっていたと私はみています。
やがて民衆の間に念仏運動が発展していくと、念仏を唱えて踊ることによってその病原体としての悪霊を払うという考え方ができ上がる。こうして神仏習合関係が環を広げていったのです。
谷川…鎮魂の行事、つまり祀られざる魂とか、恨みを呑んで死んだ魂を鎮めるのは、自分の安心立命のためではないだろうか。人の魂を鎮めないでおくと自分が安心できない。自分の救済と切り離されて他人の鎮魂があるのではないという気がします。
山折…折口さんも歌を読むというのは自分の身体における鎮魂のためだといっていますね。それが土地の魂(国魂)を鎮める行為ともつながっていた。それで共同体の秩序、いい環境を整えようとしたわけですね。
谷川…日本の歴史を見渡してみましても、鎮魂の行事とか文学とか異常に多い。平家物語は鎮魂です。軍記物語は鎮魂です。万葉集もそうです。
山折…謡曲、浄瑠璃までつながっている気がします。
谷川…郡上八幡に郡上踊りがあります。下駄をはいて踊りながら時々パンと地面を蹴るのです。だから郡上八幡の町の道はでこぼこです。郡上一揆がありましてそこで亡くなった人の霊を鎮める、新野の場合は飢饉で亡くなった霊を鎮める。新野の歌の中に出てきます。自然の悪霊を遠ざけるようなものと、満たされざる生を終えて今なお成仏できない霊や浮かばれない霊を鎮める、両方ある気がします。でもなんで盆踊りは美しいのでしょうか。
山折…踊っている人間は顔を隠して、その時すでに人間でなくなっている、或いは霊の世界に身をやつしているといっていいでしょう。そういうある意味では慎み深い姿勢が、盆踊りを踊る人々の形にはにじみ出ているのではないでしょうか。
谷川…人間の共同体の一番純粋な光景が、単純化されておこなわれている。
山折…単純さの中身をいえば、死者に対する弔いの真実性みたいなものであって、それが心を打つのではないでしょうか。
谷川…死は生に移り、生は死に移る、死は生に帰ってくるという互換性でしょうか。しかし、現代日本は美しいシンボリックな光景はないような気がします。