魂の存在を否定してはいないのです。もう一つ、親鸞は「海」という言葉が好きだったんですね。「和讃」の中に海という言葉がたくさん出てくる。「衆生」という場合、その下に必ず海をつけ「衆生海」と表現している。「大乗」の代わりに「大乗海」、さらにただ「愛欲」とはいわずに、「愛欲の広海」といっている。そういう表現が毎ぺージに出てくるんです。普通に言えばいいことをわざわざ「海」という接尾辞みたいな言葉をくっつけるのです。それはなぜかといえば、彼の越後での流罪体験と深く関わっていると思う。親鸞は二十九歳のとき、比叡山を降りて法然の門に入ります。まもなく念仏の弾圧にあって越後に流されました。今の直江津の国分寺跡の近くです。その海辺に、親鸞上人御上陸地点と書いた碑が立っています。そこで四、五年流人の生活をしていた。それで当然、朝から晩まで海を見ているわけです。海鳴りの音を聞き、海の幸を食べて、毎日を送っている。嵐のときもあるでしょうし、なぎの平和な海もみている。そういう日常の光景を目に浮かべながら読んでいると、よくわかるんですね。たとえば「教行信証」の最初の所に、「難思の弘誓は難度海を度する大船なり」という文が出てきます。難思の弘誓というのは、大衆を救ってくださる阿弥陀如来の誓いのこと。その誓いによってわれわれを荒れ狂うのかなたに渡らせてくれる。大船に乗せて浄土に往生させてくれる、という意味の言葉なんです。海上のかなたに理想国土としての浄土があるということで、これが親鸞の実際の身体感覚だったのではないだろうかと私は思っているのです。それはインド人が考えた西方十万億土のかなたという抽象的な浄土ではなかったと思いますね。むしろ、海のかなたに浄土があることで、それはひょっとするとニライカナイの信仰に近いものだったかもしれません。そういう日本列島の風土の影響を親鸞は受けていたのではないでしょうか。
谷川…親鸞の流罪されたという体験は決定的な気がします。盆踊りは念仏踊りから派生したという説が、民俗学では言われています。では念仏踊りはどこからきたのかというと、人間であれ、目に見えない自然であれ悪霊を遠ざける行為が、芸能化して盆踊りに発展した。盆行事に入っていることを考えると、日本の古来の習俗、仏教以前のものがある。
一遍や空也の念仏踊りも純粋な観念的な仏教ではなく、反閇というか自然の悪霊を踏みつけるというのとつながっているんじゃないですか。