今から二十五年前に父親が亡くなったのですが、四十九日法要を終えたとき、ふと、佐渡島に行きたくなったのです。何の因果関係があったのか分かりません。そして、佐渡にはじめて渡りました。前から行きたいと思っていたところではあったのです。日中は島内を観光しました。夕方になって、絶壁になっている西海岸で、沈む夕陽を見たんです。恐ろしいような、本当に美しい荘厳な落日でした。そのとき、父親の魂が太陽と一緒に西方浄土に飛んでいったという実感を得たんです。これが本当の四十九日法要だ、と思ったことがあります。四十九日を終えたときなぜそんなことを考えたのだろうかと不思議に思いましたが、それはおそらく四十九日までは魂がどの辺にいるのか分かると言った柳田國男の影響だったんですね。それがやがて、日本列島に棲む日本人の原始感覚のようなものではないかと思うようになりました。
谷川…甑島に藺落(いおと)しというところがあって、藺草を崖から落としたところですが、春の彼岸の頃になると、その藺落しから東シナ海に沈む夕陽を拝んだ。仏教が入る前からの風習だったといいます。
山折…そうです。仏教以前というとニライカナイ信仰とか常世の国信仰なんかが考えられますね。そういういろんなイメージが重層しています。どうも海のかなたに太陽が沈むとか、山の端に太陽が沈むというときになると、われわれの体の中にある何かが騒ぎだすのですね。
谷川…日想観は、必ずしも仏教的なものではないですね。
山折…日想観そのものは仏教が日本にもたらしたものですが、しかし夕日信仰というのは以前からあるものです。
谷川…四天王寺の近くに夕陽丘という町があります。今は海に沈む落日は見えませんが、昔日はそこで大阪湾の西に沈む夕陽を拝んだのです。
山折…聖徳太子が四天王寺を建てました。この寺は正式には南を向いているのですが、実は西門が民衆の念仏信仰で盛んになりました。今いわれた夕陽丘というのはその西門のところに位置している。つまり四天王寺の西門はちょうど極楽の東門に相対しています。聖徳太子が四天王寺を建てたのは政治外交上の問題だけでなくて、同時にそこには西方の海のかなたに沈む太陽に対する信仰がはたらいていたのではないでしょうか。土着的な落日信仰と仏教の双方の影響を受けたのかもしれません。
谷川…佐渡島といえば西海岸の北端に願というところがあります。池田弥三郎はネゲといっていましたが、私が現地で聞きましたら、はっきりとネガイといっていました。海岸は小さな石ころがごろごろしていまして、そこに風車(かざぐるま)が百本近く立っていました。風が吹くと一斉に鳴るのです。近年は水子供養のための風車の影響もあるかもしれませんが。
山折…風でしょうか。風は死者の世界と我々の生きている世界とを媒介する自然現象のような気がしますね。宮沢賢治の作品では、必ず風が吹いて物語が始まり、風が吹いて物語が終わるんです。それが別の世界に我々を引き込み、この世とあの世を媒介するような効果をみせて吹いている…。
ニギミタマとアラミタマ
谷川…戦前の通俗的な哲学の解説書では、西洋人は昼と夜の世界であって、コントラストが強くはっきりしている。日本人の世界は夜明けか夕暮れのように薄明の世界だといわれました。しかしそういう割り切り方でなく、日本の中には生者と死者が入り混じっている。正月にも盆にも死者の供養が出てきます。西洋人は現世と来世を対立的に考えるからコントラストがはっきりしているというわけではなく、最初から考え方が違うのではないか。日本人は生きているものも死しているものも同じ次元で遇している。それだけに死している者の中にあるむくいられざる霊とか、満たされざる霊がやってくることに恐怖を持つ。生者と死者が分けられないで同次元にいる民族はたくさんいますか。インドではどうですか。