平成三年八幡町は、郡上踊り四百年を宣言し、盛大な記念式典を挙行した。がしかし、あの「日本の悲劇」の日にも、戦没者慰霊のおかげで郡上踊りが続行された、いわば「魂鎮め」のおかげで郡上踊りの火が燃やし続けられた、そのことを省みることは無かった。
町民有志による「昔おどりの夕べ」は、安養寺境内の中心に、キリコ燈籠を吊すことから作業を始めた。郡上地方では、どこでも魂鎮めのヨリシロであるキリコを中心に踊りを始める。キリコは、亡き人の魂だけでなく、神霊も舞い降りてくると考えられた。
大和(やまと)町金剣(こんけん)神社では、キリコハリ、キリコオサメなどに一カ月を要し、できるとキリコアゲの踊りを行うという。白鳥町為真(ためざね)白山神社の記録によれば、型紙の調達にわざわざ伊勢鈴鹿まで出向いている。観光化した八幡町でも、キリコを掲げてはいるが、中心にはおはやしの屋台が設置してあるため、キリコはあるものの次第にワキ役化、装飾化してしまった。
昔おどり復活の宣伝は全くしていないのに、大勢の人が集まって来た。午後七時、寺鐘をついて始めた。一同瞑目合掌、しばし祖霊に祈りを捧げる。中天に吊られたキリコに頭を垂れる。始まった踊りは「古調かわさき」誰ということなく唄が出て、終れば次の唄が…。“踊り助平”による「掛け合い」の発生である。笛の音も三味の音も全く無し。照明も無い。踊り子たちの表情は、喜々としている!「原郡上踊り」が、今再生している!