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節回しは哀切でありご詠歌の節回しを連想させる。この和讃が終わると同時に花火が一発放たれる。

神事が終わると行列は引き返し、村外れに向かう。その時まで踊りの輪を崩していない渦の間を行列は突き抜けなければならない。

それまで能登を激しく踊っていた連中は、行列を通すまいと立ちふさがり、踊りの輪を幾つも作り行列を妨げる。最後の最も高揚した新野の盆踊りがそこに見られる。

それは立ち去って行く祖霊たちに向かい、一刻も長く引き止めようとする気持ちを込めた所作である。

行列は名残を惜しむ千数百人の間と、通すまいとする二十近い踊りの輪を潜り、約一キロ先にある寺の山門前に着くと、踊りの輪も漸くそこで締める。

広場に着くと、切子燈籠は潰されて積まれ、最後の神事が行われる。そこは村境になっていて、精霊がそのまま帰って来ないようにと念じ、東の方向の道をあける。

行者が呪文を唱え九字を切り、小刀(以前は桑の棒)で切子燈籠を叩くと点火され、参列者は大声で精霊を送る。同時に終わりを告げる花火が打ち上げられる。

人々は「秋歌」を歌う音頭取りを先頭に、振り返らないようにしながら家路に着く。

秋がきたそで 鹿さえ泣くに なぜに紅葉が色付かぬ

振り返り燈籠が燃えている方向を見ると、精霊がついて来るからすべての人が振り返らないようにするのである。

現在の切子燈籠の星(胴)には、花鳥風月が多く、袴(裾・垂れ)には薄い色合いの唐草・菊・牡丹・麻の葉等が描かれ、その他の部分には金・銀の飾り模様が付いた華やかな切子燈籠で、盆近くなると親戚等が遺族に贈るのである。

広場で切子燈籠が焼かれる光景は、遺族にとって忘れられない一刻であり、振り返らないでわが家に向かう心は、何時かは誰もが味わうものである。私は帰宅した後に新野で生まれ育った女性から、次の様な手紙を頂いたので、その一部分を紹介しよう。

―小学校三年の時、友達のお母さんが他界された。新盆になり切子燈籠をお母さんのだからといって小さな体でかついで行く。切子燈籠の裾が汚れると思い、私が手伝って村はずれまで一緒に行きました。

高く昇る煙に向かって友達が「お母さんお母さん 来年まで待っているからね」と幾度も呼んだ声は今だに忘れることが出来ません。―

私は新野の盆踊りに、盆踊りの原風景を見る思いがしたのである。そしてもう一度新野の盆踊りに来てみたいと願いながら、私も後を振り向かないで旅館に向かったのである。

最後になりましたが、新野の金田行蔵氏と佐川金寿氏に種々ご教示頂きました。厚くお礼申し上げます。

…<郷土史研究>

 

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積まれた切子燈籠、神事が終わると焼かれる

 

撮影=木下好枝

 

 

 

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