アラセツは火の神の祭り日といわれ、それは太陽崇拝民俗の信仰であることをも意味する様です。次に来る七日後の壬(みずのえ)の日の祭り日が、シバサシ(柴挿)なのです。そして軒に柴を差して祝う水の神の祭り日なのです。シバサシの後の甲子(きのえね)の日がドンガ(嫩芽)と呼ばれる三八月の最後の土の神の祭り日です。
干支は六十日毎に巡ってきますから、年によっては二ヵ月後の、陰暦の十月になることもある長い間を置いて後の祭り日がドンガで、埋葬した墓を改葬して洗骨する日でもあります。
これが奄美の八月三節であり、それは神々に対する豊穰の感謝祭であると共に、やがて荒れ狂う大海の中に取り残された孤島の、苦しみの逃避や抵抗の舞踊が八月踊りだ、との見方もあります。
昔の奄美では正月と陰暦の八月が、一年を二分する大きな折り目となっていたのです。この時期を《シチガワリ》と呼んでいて、最も重要な時間と考え、神祭りをすることで、新しい年の実りを祈ったのです。八月踊りは、この折り目・節目に行なわれる神祭りの《神遊び》で有ったと言われています。
奄美出身で郷土研究家でもあり、ロシア文学者としても著名だった昇曙夢(のぼりしょむ)さんは、その著書『奄美の島々・文化と民俗』の中で、八月踊りの始まりについて、
「昔《アシャゲ》(氏神社)で氏神を祭った時、または琉球時代に祝女(ノロ)達が《アシャゲ》に集まって神遊びをした時、《オモリ》(オモロの古形、神唄の義)を謡い、太鼓を叩きながら、これに調子を合わせて、一人立ち、二人立ち、遂には祝女総立ちとなって踊ったものである。