奄美の八月踊りの頃…藤井令一
九州の南端の鹿児島空港から。南へ飛びたって約一時間ほどで奄美大島に着くことができます。そこから沖縄県の石垣島まで一千キロ以上にわたって連なる島々は、日本の南島であり、日本文化の根を生きる島嶼でありながらも、現日本文化とはいささか異なる文化圏として、独特の言語、民俗、信仰、芸術を育んでいます。
それは作家の島尾敏雄さんが奄美に二十年も住み、「琉球弧」・「ヤポネシアの根っこ」と呼称して、ヤポネシアの概念のもとに普遍させた奄美・沖縄諸島であり、亜熱帯固有の情緒に溢れた島々なのです。
その「ヤポネシアの根っこ」の北端に奄美大島はあり、琉球文化圏の中の島ですが、行政は鹿児島県に属しています。
奄美諸島の秋と冬は、季節風と共に訪れる、と言えます。九月の下旬頃からミイニシ(新北風)と呼ばれる爽やかで涼しく、柔らかな季節風の北風が海からそよぎ始めると、秋の訪れを感じるのです。その頃が丁度太陰暦の八月に入りますので、奄美の島々には特殊な雰囲気がみなぎってきます。それは、優しくて情緒的な古い島の内へと溶け込んでゆく、島住民達の一途な心情のただよい、と言った方がしっくりするように思えます。
四季の変化がそれほどはっきり感じられないこの南島奄美ですが、太陰暦の八月に入りますと、そこはかとなく熾烈な夏の陽の輝きの衰弱の兆しを感じさせられ、新しい季節の訪れを予感させるような、優しさに似た情緒がにじみ出る唯一の時間なのです。
伝統とか風習などという事をことさら意識しなくても、この頃になりますと島の人々の血が騒ぎ出してしまうわけで、それは頭の中より身体の内から疼(うず)き出す南島人の、血に受け継がれてしまった習俗の情感の騒ぎ、と言えるものなのかも知れません。
仲秋の名月の夜(陰暦八月十五夜)の夜が近づくと、方々の広場から八月踊りのチヂン(手持ち小太鼓)の音が流れてきますが、それを聞きますと私たち島人は、否日本人なら誰でも、一種異様な心の高ぶりを覚えさせられるものなのです。
この季節こそは、きっと私たち日本人の遠祖にとっても、とても大きな意味と深い信仰の根となった、いわゆる人と自然と神が、よりナチュラルに解け合えた時間だったのだろうと、身の内で強く感じ取れるのです。
もちろん一方の意識の側では、古くから奄美にとって、陰暦の八月こそが一年の節の新しい変わり目であった事を知ってはおります。しかし、それを頭よりも血の騒ぎの方で感じさせる不思議な雰囲気が有ることに、感慨が深まり、南島の特異な風土性を強く知らされてしまうのです。
奄美の八月踊りは、陰暦八月の最初の丙(ひのえ)の日である《アラセツ》(新節)の夜から盛んになり、十月の末頃まで間歇(かんけつ)的に夜を更かして続けられます。その間を三八月(ミハチガツ)と呼んで、奄美では新しい節、いわゆる新年を迎えるような、アラセツ、シバサシ、ドンガという、三つの祝祭日を迎え送るわけです。