アンガマ踊り…大田静男
旧暦の七月十三日から十五日はグショウー(後生)の正月とよばれる、ソーロン(精霊会)である。
その三日間、石垣島の数箇所の集落では、アンガマと呼ばれる芸能集団が、招請された各戸を訪れ、歌舞音曲で祖霊を慰める。アンガマはウシュマイ(翁)とンーミ(媼)の仮面を被った者が、手ぬぐいで顔を隠し、紅白の飾り花の花笠に女装したファーマー(子孫)三十人余を引き連れている。
歌舞の合間にはウシュマイとンーミが観衆と仏教や世相などの問答を繰り広げる。
アンガマは遠来神(えんらいしん)や祖先霊ともいわれるが、原語について、宮良當壮(みやながまさもり)は「姉子」(あねがま)といい折口信夫は「母小」(あもがま)親しい母の意味で、海の彼方の「妣(はは)が国」ではと推測している。
他に「覆面」やアンニャ(行脚)説もある。
しかし、女装などから見て宮良當壮の姉子(アネガマ)説ではないかと思われる。
沖縄に仏教が伝来したのは十四世紀頃と思われるが、『琉球国由来記』によれば、萬暦(まんれき)年間(一五七三〜一六一九)に袋中(たいちゅう)という日本の僧が来島し、浄土宗を広めた。彼は『琉球神道記』の作者で、仏教の文句を俗に和らげて那覇の人に教えたのが本国念仏の始まり―と記している。