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完新世(1万年前〜現代)の初期には気候が再び温暖化し、海水面が現在より1〜2m上昇し、海は加須や栗橋へも到達した。この縄文海進のピークは縄文時代前期(5000年前)までで、中期になると海退が始まり、後期には埼玉平野南部まで退いた。

縄文時代後期から晩期には、西側を荒川谷、東側に中川谷に挟まれ、北から南に長く張り出した大宮〜館林台地も、長い間の侵食作用によって表面の起伏が発達し、支谷の分断が進んでいった。

弥生から古墳時代になると、加須の土地はまた大きく変化していった。地殻変動(関東造盆運動)による沈降が進み、大宮〜館林台地の一部であった加須は低地となってしまった。さらに、それまで熊谷から南に流れていた利根川や荒川が加須低地に流入するようになった。浮野の里地域の地下にはこのような古い時代の土地の変遷が刻み込まれているのである。

 

3) 浮野の成因

 

長い時の流れの中で、大宮〜館林台地は侵食による起伏と支谷の枝分かれが進んでいった。浮野はこれらの侵食によってできた谷の先端にあたり、縄文海進のころの波打ち際で、波の侵食によってできた崖の部分であったと考えられている。

この谷には、縄文海進時の海の堆積物やその後の河川堆積物が、関東造盆運動によって地下に埋没している。地下に埋もれている波食崖から冷たい地下水が湧出し、その上に堆積している泥炭層を含む地層に浸透し、高層湿原に似た環境が形成されているのではないかと考えられている。

 

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図1-2 浮野の地下谷と埋没台地の復元図

資料:「加須の浮野とその植物」調査実績報告書(加須市教育委員会)

 

 

 

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