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人工構造物によって沿岸の海流や漂砂のバランスが構造物によって変化した。しかし、これは時に行政的な境界を超えていたため、現象としては発見されながらも、対策が遅れた。

例えば、A町の構造物によって沿岸漂砂系が遮断され、隣接するB町の海岸が侵食され、その対策のためにブロック護岸が設置され漁場として使いものにならなくなったとする。AとBの町の境界だけでなく、管理者の系統が国の省庁レベルで異なった場合には、その協議は事実上厳しいものがある。対症療法的には上述のようになされているが、長期的にその沿岸をどのように管理していくのか、といった視点が充分であったとは言えない。

日本の海岸線はほとんどが公有地である。そのため管理に利用者や市民が口出しをするという発想自体がなかったため、公共的に計画されたものを受け取るというシステムになっていた。もちろん、公共事業としては手続き的に「地元の要望」は聞いてきたが、その制度が本当にどこまで本質的に機能してきたかについては、あらゆる公共事業について再検討を迫られていることは周知の通りである。

さて、沿岸環境が悪化すれば、沖合、遠洋へと漁業対象を地元から遠い場所へと展開していき、その結果、漁船が大型化し、そのための泊地として水深の大きい港のスペースが必要となり、ますます「地先」の海をつぶすことになってしまった。沖合展開した漁村の人々の地先への関心は低下する一方であった。ところが、近年の日本漁船の遠洋漁業からの締め出しや、漁獲の不振により、いざ沿岸に、故郷に漁業者が帰還して地に足のついた漁業を営もうと思った時には、そこには豊かな漁場が残ってなどはいなかったのである。

このような、漁業のためのインフラ整備が漁業者の首を締める、という本末顛倒は以前から問題視はされてきたが、昨今顕在化しつつある。その理由として、まず、漁業者の高齢化があげられる。沖合や外洋でハードな漁労をしてきたが、高齢化のため小さい舟で個人的に釣りなどで行える形態を望む漁業者が増えたこと。これは、終身働けること、終生の生きがいとして是非とも奨励されるべき方法であるが、現実には、そういった個人的漁業が可能な磯や地先の海はことごとく環境が悪化していて、そういった夢を実現させにくくなっている。

漁業者の就労人口が20万人台となり今後も減少傾向が予想されている現在、漁村や周辺空間、そして海面は漁業者だけのための空間なのかという問題が発生している。海の利用という点では、歴史的に漁業者が漁業権を持ち、優先的に利用することが認知されてきた。しかし、近年、マリンスポーツ人口の増大と、海洋性レジャーの多様化によって、海の利用者が漁業者以外にも急増した。その結果、利用者と漁業者の摩擦が各所で起きている。それを回避すべく、プレジャーボートの置き場としての港の建設なども行われているが、これもまた上述のように、沿岸生態系への脅威となっている。いずれにせよ、沿岸生態系保全か利用かという折り合い、あるいはトレードオフの認識が急務である。

さらに漁業振興は、食糧国防上も必要だと言われて来たが、バブルの時代に水産物の輸入への依存が進行した結果、さかなは獲れても高く売れない、生計が立てられない、漁業の将来展望がない、最終的には漁場を換金する(漁業補償)という発想が生まれる、、、といった実態が生まれてしまった。

 

これらの問題に関して、自然システムの研究はそれでも進展したきたように思える。全体性の欠如が問題ではあるが、個々の技術や因果関係については現在の努力の延長線上にも希望がないわけではない。

 

 

 

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