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ゴミ山周辺に住む住民の30%がスカベンジャー(Scavenger:掃除屋)をし、残りの70%の人々はここからマニラ等に働きに行っているが、教育レベルが低い、もしくは教育を受けていない人が多く、必然的に下層職やスカベンジャーをすることになる。ここでは井戸水はあまりにも不衛生なので、外部から運び込んだものを市価の20倍以上で売っているが、洗濯等に使用する水は近くのゴミ山からの腐敗水が流入している水である。栄養状態も悪く、パヤタスの子供たちの40%は第2度の栄養不良状態にある。水も空気も悪く、栄養状態も不良、そして家計のために行う仕事は、細菌だらけであろうゴミ山でのゴミ拾いである。

私たちは、事前に用意したゴム長靴を履いてゴミ山に登ったが、スカベンジャーたちは単なるビーチサンダルで登っていた。崩落以来ゴミ搬入が無くなり、彼等は失業状態であるが古いゴミを探しているのだという。ゴミ山を登る途中、少年に逢った。まだ9歳と言っていたが、ゴミ拾い用の鉤と袋を持ち、汚れた足にはビーチサンダルであった。破傷風等の感染症が多く、皮膚病になる人も多いと聞いた。当然そうだろう、人の住む環境ではなく、仕事場としても劣悪過ぎる。ゴミ拾いに出たまま帰らず、遺体で発見されることもあるらしい。行政は何をやっていたのだろうか?

フィリピンの政府の方針でダイオキシン等を発生させないためにゴミのほとんどは焼却せず埋め立てていくという。考え方は良いだろう、しかし、ほとんどのゴミを分別することなく、そのまま埋め立てるというのはどうだろうか?ゴミを燃やさないというならもっとリサイクルに力を入れなければ、無秩序にゴミ山が広がっていくだけではないだろうか?

パヤタスのゴミ捨て場は崩落後に封鎖された。現在、他の代替地にまた多量のゴミが捨てられ続けている。仕事を無くしたスカベンジャー達はその代替地に仕事を求めて移住することになるだろう。どこかでその悪循環を断ち切らなくてはいけない。

私たちは日本から見学に来ただけである。今の日本の豊かさと、私たちの無力さを実感した。私たちは何ができるのだろうか?一時の感情だけではなく、私個人に関しても日本のあり方、援助の仕方に関しても多くの課題を見た気がした。 (金川)

 

(4) 家庭訪問

ゴミ山を後にして、想像を超えた現実に言葉を失ったまま、2つのグループに分かれて現地の家庭を訪問させていただいた。どちらの家もその二、三軒先は崩壊で押し寄せたゴミの下に埋もれ、崩れ果てていた。

 

1] ラドック家

私たちはPayatasに住むラドックさん一家を訪問させてもらった。私たちが訪問したときは、お母さんのエルシーさん、6番目の子供のネストルくん、末っ子のキンバリーちゃんがいた。家はブロックを積み上げて作られたもので、周りの家々よりは頑丈そうであった。入ると3m×4mほどの部屋になっており、続きの部屋は土地が斜面になっているのか、少し下がって同様の部屋があった。部屋には冷蔵庫、洗濯機、扇風機があった。扇風機を回してもらえたので電気は来ているようだった。ラドックさんの一家は豚などを飼っているため、ここでは比較的裕福で、家も豚を売って建てたものらしい。

 

 

 

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