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ここでは、ハンセン病に関して新規の患者に対するMDTの他、入院患者に対するリハビリテーション、健康管理を行っている。緑豊かな130haの敷地内に現在約100人を収容するハンセン病病院と、近年、力をいれている一般病院を併せ持つ大規模なもので、さらに周辺には元患者のための作業所や政府出資の寮が存在している。

1940年の病院設立以来、かつてはハンセン病病床数2000を数えていたが、フィリピン全体のハンセン病罹患率が主に80年代後半から90年代前半にかけて減少し、1999年時点で0.63/10000人と現在でも漸減傾向にあるため、新規の患者は着実に減り、敷地面積を含めて規模を縮小しつつある。

しかし、治療済みの患者及びその家族の多くは差別の為に地域に帰れず、院内や周辺に10〜20年と長期滞在しているケースが多い。また、現在でも居住する地域からの差別の為に、追い出される形で、近隣だけでなく各地からハンセン病患者が訪れることがあるという。政府もTVなどで差別に対する啓蒙活動を行ってはいるが、市民の患者に対する差別や迫害意識を変えるのは難しい。偏見というのは、日本国内研修にて学んだ隔離政策とは形こそ違えど、どこでも変わらないとい問題だという感想を抱いた。

 

2] 病棟見学

さて、Dr. Ismael G. AbremsJr. に案内されての実際の見学であるが、広大な敷地内でまずはじめに訪れたハンセン病病棟では、実際に入院患者に接する機会を得た。最初にお会いしたのは5つ程のベッドがある術後外科病室に入院中の40代の男性で、左下腿を切断したために車椅子生活であった。彼は院内にて紙細工の作業療法を行っており、作品も見せて下さった。このように足穿孔をきたしてはじめて受診するような人に対しては外科的治療しかない。当然早期発見に努める政策がとられている。しかし、前述のように差別の為に受診が遅れたり、また地方によって罹患率や対策に格差があるのも実情である。患者さんに直接声をかけようかとためらい、ひとまず「Thank you」とだけしか言えずに、渡り廊下を挟んだ10床程のベッドが並ぶ女性病棟に入った。ここで紹介して頂いた60代女性は、手指足指変形が認められ、眼病変も進行し失明をきたしていた。こうした眼病変、変形などの後遺症の残る人は社会復帰が難しい。この病室内でも患者の高齢化がすすんでいることが察せられ、また患者が家族らしき人とともに住む情景も見受けられた。窓が開け放たれ風通しのよい室内では、生活用品がベッド脇に揃えられ、またカトリック教徒の多い国らしく、十字架が枕もとにかけられている光景がしばしばあった。

 

(2) 人形作り作業所見学

この後一般病棟(小児科)を通って院外に出、人形を作っている作業所を訪れた。ここはベルギーの修道会が始めたもので、「ハンセン病は人々の身体ではなく杜会的に傷をあたえるもの」という理念のもと、修道女の指導で患者、家族、職員が人形の製作販売を行っている。月曜から土曜(土曜は半日)まで働き、全員が女性という、忙しそうで賑やかな雰囲気の職場だ。作品の売れ行きは好調で、注文が多いクリスマス前は作業が追いつかないこともあるという。

 

 

 

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