13歳まで育った実家は、園から電車で1時間ほどの町にあるが、平沢さんはその駅で降りることは出来ないと言う。現在は「らい予防法」が廃止され、強制隔離の必要がなくなった。しかし、実家を訪ねることやその町の駅に降り立つことは家族の幸せを壊すことだと、平沢さんの中で決して許されないことなのだ。お父様や地元の教育委員会の方では、平沢さんを迎える用意があるという話があっても、である。
最後に平沢さんは施設で伝えられてきた哀しい言葉を紹介して下さった。
「もういいかい?骨になってもまあだだよ!」
ハンセン病患者は、遺骨になっても肉親の元へ帰れないということだ。
このお話から、ハンセン病に対する一般の人々の差別感が感じ取れた。日本ではハンセン病患者に対して、国がその人の所得に関係なく生活費の一切を負担している。これは一見恵まれた待遇のようにも思えるが、平沢さんが他の国のハンセン病療養所を訪れて感じたことは、「彼らの待遇は日本に比べ恵まれてないが、家族や子供に囲まれて楽しそうに暮らしている」事だったそうだ。
海外では、経済的に負担が大きく、非排菌者の隔離政策はほとんど行われていない。
日本では「優生保護法」の下に、患者への断種手術が施された。社会の差別意識はどの国でも存在し、それは世界一体となって考えるべきである、と言うのが平沢さんのお考えのようだ。
資料館を平沢さんの案内で見学した締めくくりに、「『らいの歴史』を知ることで、自分自身が今後どう生きていくかを考えてほしい」とのメッセージを頂いた。平沢さんは今は「足は地元にハートは世界に」をモットーとし、現在は国内外を問わず障害や難病についての様々な活動に飛び回っている。
資料館へは年間1万人が来館する。全国の入園者が高齢化する中、入園者自身が手作りで一から十まで作り、維持している「自分達の存在を残すため」の資料館であった。