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(2) ハンセン病の基礎と臨床(10:00〜11:00)

国立療養所多磨全生園 皮膚科医長 並里まさ子 先生

 

らい菌は1873年にノルウェー人のハンセン博士により発見された。以後、効果のある薬剤療法の成立は、1982年にMDT療法(Multidrug Therapy)がWHOに承認されるまで100年以上を待たねばならなかった。

らい菌の特徴として、1]12−13日と長い世代時間を持つ、2]37度弱の温度を好む、3]神経を好んで侵す、4]培養モデルがなく感染経路不明等が挙げられる。感染は幼少時に起こると推定され(しかし、らい菌の伝染能力は極めて低い)、病型はいくつかあるが、皮膚直下の神経が侵されると太く肥厚して見えること、ある筋肉が萎縮してくること、そして特徴的な紅斑等が初期発見のきっかけとなる。

現在、WHOから世界のハンセン病制圧を目的に、早期発見・早期治療が実行されている。日本の年間発症は一桁だが、患者の多いアフリカ、インド、南アジア等の国には新たに発見された患者に対しWHOから与えられたMDT療法の薬剤が用いられている。その蔭には笹川記念保健協力財団からのWHOへの長年の資金供与がある。財団は1974年にハンセン病撲滅を願い設立されたものである。

 

(3) 園内の病院見学

講義終了後、施設内の病院をかけ足で見学させていただいた。ほぼ全ての科を有し、義足の製作所もある(かつてらい予防法の下、患者は隔離され園外に出ることは出来なかったためだ)。らい菌の標本も見せていただき、この疾患の歴史に思いを巡らした。

講義室に戻って昼食をしながらも、学生は先生方を囲んでそれぞれの疑問をぶつけていた。ハンセン病のことについて深い講義を聴いたのは初めての学生がほとんどで、次から次へと質問は尽きなかった。 (八島)

 

(4) 高松宮記念ハンセン病資料館見学(13:00〜14:00)

ハンセン病資料館 運営委員

多磨全生園自治会会長 平沢保治 氏

 

午後は一転して、医療側からでなく「元患者」側からのお話であった。

雨がぱらつく中、園内にある資料館に移動した。過去のハンセン病事情の変遷とその対策事業の歴史を明らかに後世に資するために建設された。館の名称は、高松宮宣仁親王がハンセン病に苦しむ人々のために活動なさった事に由来する。

自治会長の平沢さんが、我々を穏かに迎えてくださった。そして、見学は平沢さんのお話から始まった。平沢さんは変形した手でマイクを支え、しっかりと立って、自らの生きてきた道を淡々と話された。

平沢さんがハンセン病を発病したのは13歳の時で、以来、ずっと隔離された療養所での生活であった。平沢さんがハンセン病を発病したことで、母親は「らいの家に嫁にいった!」と言われ、実家から縁を切られた状態になった。長男である平沢さん自身の存在は、兄弟の子供や結婚相手には伏せられてきた。

 

 

 

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