團伊玖磨のオーケストラ音楽
岩井宏之(音楽評論家)
オーケストラを使った團さんの諸作品の中で、私が最初に強い印象を受けたのは、1955年に発表された管弦楽組曲「シルクロード」である。
この組曲は、1953年に團伊玖磨、芥川也寸志、黛敏郎の3人が結成し、翌54年から活動を始め、世間の注日を集めた「3人の会」の作品発表会で、作曲者自身の指揮する東京交響楽団によって初演された。今となっては理解してもらえないかもしれないが、そのころの現代音楽の聴き手のほとんどは、新しい技法、新しいスタイルで書かれた作品のみに関心を示し、そうしたものだけを評価するのが通例であった。新しいものならば、ほとんど無条件で受け入れてしまう反面、少しでも古さを感じさせる点があるものは、それだけで排除されてしまうのである。振り返ってみると、1950年代は“破壊の時代”であった。新しいものを生み出すには、既知のもの、伝統的なものときっぱり手を切らなければならない、と多くの人たちが考えていた。
そういう風潮の中にあって、しかし團さんは毅然として自己の信じる“音楽”を追求していた。「シルクロード」は技法やスタイルの新旧を超越した次元で、それが表現している音楽の内容の深浅を聴き手に問うているのだ、と私は受けとめた。こうして「シルクロード」は、私の記憶に長く刻みこまれる作品のひとつとなった。
それからほぼ10年後、東京オリンピックの1964年に書き上げられた「交響曲第4番」は、全4楽章という楽章構成もさることながら、造形重視の姿勢を保持している点でも、交響曲の伝統に深く根差した、言うなれば“新古典的な”交響曲にほかならない。つまり「シルクロード」と「交響曲第4番」は、楽種こそ違うものの、かのオペラ「夕鶴」と同じく、音楽における抒情的なものを尊ぶ團さんの気質を明示していて、余すところがない。團ファンを惹きつけて放さないのは、まさしくこの気質ではあるまいか。
例えば、この1964年には、團さんの「交響曲第4番」とは対照的な交響曲が書かれている。今は亡き入野義朗さんの「交響曲第2番」がそれ。これは、いわゆる12音技法による作品で、12音で構成される音列2種が、楽章ごとに主となったり副となったりして、全5楽章に登場してくる。論理的な構成という点では、考え抜かれていて全く非の打ちどころがない。だが、あえて言わせてもらえば、私たちは聴いただけでこの見事な構成を感知できるのであろうか?残念ながら「ノー」と言わざるを得ない。レーゼドラマといって、上演を目的とせず、読まれることを狙って書かれた、思想の表現に重きを置いた戯曲があるが、それに倣って言うなら、レーゼムジークに結果的になってしまったのが、入野さんの「交響曲第2番」であった。