初演は、1965年10月13日に、神奈川県立音楽堂において、作曲者指揮の読売日本交響楽団によってなされた。ここでの彼は、それまで重ねてきた音楽のフォルムの追求を、さらに徹底的におこなっている。もちろん、それは、たんなる表現形式の追究にとどまるものではなく、主題に内蔵されたエネルギーがもつフォルムへの発展の可能性や、それから到達するべきフォルムそのものの追究でもある。彼はまた、この交響曲で初めて4楽章の構成を選び、しかも古典的な交響曲の形態を思わせる構想をしめしたが、それは、第3番ですでに新たな音組織、音響と音色の世界に足を踏みいれていた彼が、それをいかしてヨーロッパ的な4楽章交響曲を作曲してみたいという欲求を具現したものにほかならない。そこでは、一見、伝統的な表現形式への後退を思わせるところがあるが、形式的な安定や均衡のよさは、結局、この作品を広く歓迎させるところとなり、その後、国内はもちろんのこと、1967年4月27日にはユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団によって海外初演がなされたほか、クルト・マズア指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって定期にとりあげられるなど、数多くの演奏機会を生みだしている。
第1楽章は、アレグロ・マ・ノン・トロッポに始まり、ふたつの主要主題を中心とする比較的規模の大きいソナタ形式によって書かれている。増4度と短2度による和音組織が駆使され、リズムと流動的な線との対比が明確であり、オーケストレーションも、断片的なものの断続にひとつの特徴をみせる。
第2楽章アダージョは、3部形式によるものできわめて幻想的であるが、そこには、彼が好んで用いてきた段階的に細分化されたリズムがかなり多用されている。
第3楽章は、彼の交響曲にとって初めての明記された“メヌエット”であり、単調なリズムをオスティナートとして素朴な雰囲気をみせるメヌエット主部と、前2楽章の要素をパロディあるいはカリカチュア風に扱ったトリオとからなっている。精神的にはスケルツォとしての性格もみせたものである。