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曲目解説

 

藤田由之(指揮者・音楽評論家)

 

團伊玖磨の創作の中で、すでに7作を数えるオペラとともにふたつの重要な柱をなす交響曲は、番号を与えられたものだけでも6曲が世に出されている。それらは、音楽的に一つの理想の世界とも考えられるオーケストラというものの表現機能に対する彼の情憬とも結びついているが、それはまた、協力や協調によって築かれる表現への情憬をも意味するものであり、また、オーケストラを用いた多様な表現形式の中でも一つの窮極ともいえる交響曲のもつ他の追随を許さぬような形式美への美学的傾倒でもあったのであろう。そして、1949年の第1作<交響曲イ調>(のちに交響曲第1番イ調と改題)から今日に至るまで、彼は、形式とオーケストラ編成という二つの面からも自己に制約を課しながら、交響曲の創作に向かってきているのである。その完成された6曲の交響曲の中にも、30余年という時間の経過があり、作風の変化が見られることはオペラでの歩みにもあい通ずるものがあるが、それとともに多様な試みが重ねられてきていることも見のがせまい。

 

交響曲第4番(1965)

1954年の<ブルレスケ風交響曲>(のちにISOLANAと改題)のあと、3楽章の構成の中に第1番における伝統的理念を踏襲しながらも、より自由な構想のもとに、いわば柔軟性にとんだ書法への志向をしめした1956年の第2番変ロ調と、1959年から翌年にかけて歌劇<夕鶴>のアメリカ初演に際して滞在したニューヨークで着想され、コントラストを意識しつつ、音色的にもモノクロマティクなものへの志向をしめし、1960年に<2楽章の交響曲>として完成された第3番とを発表している。それらの間にもかなりの対照をみせた彼は、1965年になって、さらに2曲の交響曲を約2か月をおいてあいついで書きあげた。第4番と第5番とがそれであるが、これら2曲は、駿河銀行の岡野喜一郎頭取の発案により、地域への文化的還元をも意図して委嘱されたものであった。神奈川県を対象としたこの第4番は、1964年10月に着手され、翌年7月28日に八丈島で完成された。

 

 

 

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