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一人の好戦的青年武将が、戦いを重ね、勝利を重ねるうちに、「戦い」というものの無残、不毛に突き当たり、戦いの無意味を悟る。九州ではクマソとの戦いを終え、やっと平和の家庭へ帰れるよろこびの折りも折り、ふたたび東征の命が下る。疲れ果てたつわものたちも重なる戦いに平和を求めている。彼等は武力による平定の無意味さをよく知っているのだ。しかし上からの命に背くことは出来ない。ふるさとにも帰れぬまま東国へと向かうタケル軍団。途中でタケルは武士たちを故郷に帰し、自分も単身帰国の途中、力尽きてタケルは死を迎える。

―軍旅(いくさたび) 勝ち進むとも 行き着きしところ 空ろなり。

空ろにして悲し。

あゝ 失われし命 今何処(いずく)を漂泊(さまよ)うや。

木よ草よ 血に染む事勿れ。

人よ 命を 落とす勿れ。―(抄出)

国の平和を希いながら力尽きてゆくタケルの死の痛切なアリアは、團オペラの中で最も人間的な感動を与える。それは現代の社会にも重ね得る構図である。社命により九州へ出向、家庭にも帰れず、更に東部支社へ転勤と、管理社会の中の一サラリーマンの過労死への告発でもある。

タケルと呼ばれるモーレツ社員の死、そしてその中に遭遇する陰謀、献身、誠実、裏切り、すべての状況がうかび上がる。

まさにタケルは、日本武尊ではなく、團氏がいみじくも「建・TAKERU」と標記したように世界の悩める青年の象徴であり、氏の意図したラストシーンの構想は

―青き光の渦の中、建の遺骸のあった場所から、白鳥(光)空に昇り、劇場客席の天井を後方へ、そして光の白鳥は数を増やし、何千、何万と飛ぶ。天井のみならず、壁面にも、客席の上、聴衆も飛ぶ白鳥の光に覆われる。あたかもその大群の白鳥は、古来より第二次世界大戦で死せる総ての人間を思わせ、異様な感動に包まれる。

やがて客席のライトが点き、劇場に現実が(現代か!)戻る―

平和希求の白鳥は、氏の最も望むところであった。聴衆一人一人の肩に置きたいのだと語った。

初日公演の直後、三人ほどの強烈なブーイングが起こった。それは最初から意図されたもののように私には思えた。

―倭は国のまほろば

たたなづく青垣 山隠れる 倭し美し!

日本の古典の中で最も美しい詩句が、聴衆全員唱和出来る旋律の中に展開される。氏はこの作品では、出来る限り簡潔な書法をもって、青年タケルを描こうとした。ジャーナリズムはこの一篇を「皇国史観」という視点から捉え、タケルの壮烈な死のドラマになど耳も眼も届かなかった。

この作品を「大失敗」と明らかに記したひとたちが、どこまでこの内容を把握出来たのだろうか。

最後の合唱の旋律を涙ぐみながら口吟さんで帰っていった大部分の聴衆こそ、このオペラの再演を、そして正当な評価を望んでいるのではなかろうか。

(写真提供 二期会 新国立劇場 よこすか芸術劇場)

 

 

 

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