そうして團伊玖磨の新しいオペラ、第七作は「新国立劇場」オープニングのための「建・TAKERU」('97)である。
グランド・オペラとしての骨格を持ち、日本で最初の国立のオペラ劇場となる《新国立劇場》の柿落としにふさわしい、祝祭性のある演目を実現し得る作曲家となれば、衆目の一致するところ、團伊玖磨氏をおいて他はあるまい。氏のこれまでの六つのオペラを見ても当然の流れである。次の世代を拓く新しい作品の要望は当然のことであり、当時この劇場の芸術監督を務めていた私は、氏のところへ赴いた。
氏は少し期間をおいて二つの題材を示した。岡倉天心の「白狐」と「日本武尊」である。「白狐」は英語で台本が書かれているが、作曲に当たっては木下順二の日本語訳を用いるということだった。「東洋の心」「茶の本」で親しんだ岡倉天心にも心が動いたが、やはり「日本武尊」の物語は「記紀」を通じ、日本の神話としてよく知られた人物の上、猿之助スーパー歌舞伎「ヤマト・タケル」再度のロング・ランもあり、三枝成彰の壮大なカンタータ「ヤマト・タケル」も毎年演奏されており、手塚治虫の「火の鳥」も若い世代にあって今なお読まれている国民的英雄である。「白狐」も棄て難いが日本武尊の存在の強さは大きかった。タケル物語にはいろいろエピソードも多く、ドラマティックな展開もある。私はまず熊襲を討ったあたりを導入にしては、と提案したが、「そういうハナシはこのオペラには考えてません」と團氏に一蹴された。「女装しクマソに近づき酔わせて一突きに」というドラマは全く氏の頭にはなく、それから会合を重ねるたびに、氏が更に深いところからこのオペラを発想していることを理解するにつれ、私は自分の未熟な「タケル」を恥じた事だった。