ヴァーグナーにとって、《ニーベルングの歌》が存在したように、團伊玖磨にとって、「記紀」の存在は日一日と大きく深くなっていった。オペラへの空白期は歌曲における空白とはその質を異にしており、歌曲では「ジャン・コクトーに依る八つの詩」('62)を最後に、最近完成した「マレー乙女の歌へる」全三十一曲の大作まで、何と四十八年もの空白期間がある。これは作曲家として意識的なもので、「細かく分類していく叙情的世界から一時遠ざかって、楽曲の構築性を自分の中に見出す」ための《歌のわかれ》であった。
この「記紀」の研究はやがて九十四年の「素戔嗚」に結実する。三幕四場に及ぶこの超大作は、荒ぶる男、スサノオの強いがゆえの悲しみが綴られる。同時に日本の古代のコトバが持つ美しさと様式美を、そのまま現代に呼びかけようとの作曲者の考えは正しい。
音として伝達されるコトバの雄勁な力。日本語がかくも強さを内包した言葉であったかと、今更思い知らされるのは、現代の日本語のあまりにも脆弱なありようへの批判でもある。この初演の批評に「言葉が現代人には判らない。現代語でやるべき」との文も見受けられたが、何とも情けない志の低さである。自分の国の文化の高さを信じようとしない(出来ない)人の意識の低さを見た思いである。
これは文部省の「教育課程」における国語問題ともなろうが、文語の美しさを日本人の生活の中に定着させ得るのは、もはや《音楽》しかないことを識者は知るべきである。