この点、團伊玖磨は七つのオペラ、六つの交響曲という、見事なバランスのもと、両輪の軌跡をわれわれの前に示し得ている。
第二作「聴耳頭巾」は、ヴァーグナーの「ジークフリート」が森の場面で手に入れる頭巾の発想の共通点はあるが、単なる民話劇のオペラ化でなく、また幻想的な森のメルヒェンの世界でもなく、その底には権力に対する痛烈な諷刺と批判の中に、日本の伝統への見直しとエネルギーに充ちた讃歌を描き出した。権力のもたらす“生活のひずみ”の中で民衆の声と力が最後の大合唱で炸裂する時、聴く者の一人一人“血の騒ぎ”の昂揚を体験する筈である。
こうした民話的題材の中から、人間の普遍性を引き出した「夕鶴」「聴耳頭巾」に続いて、藤原歌劇団創立二十五周年記念作品として、日本最初といってよい大規模な構想をもった「楊貴妃」が初演('58)された。第三作のこの「楊貴妃」だけを私は見落としている。私が日本にいなかった間の初演で、残念なことに再演されていない。しかしその時のテープなどから感じられる事は、グランド・オペラとしての骨格の大きさ、各人物の心理の絡みのやりとりの劇的展開などが丹念に構築され、それまで日本のオペラに欠けていた「グランド・オペラ・スタイル」完成への意志が鮮やかにうかび上がり、豪華極まりない舞台が見えるようである。團氏の師、山田耕筰の「黒船」は確かに日本のグランド・オペラ第一号として画期的な構想をもった作品だが、その師の遺作「香妃」を完成させたのが團氏である。「香妃」も新しい演出での再演の待たれる作品だ。