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▲オペラ「夕鶴」

 

「夕鶴」は既にスイス、ドイツ、アメリカ(南米も)、中国、東南アジア諸国、ロシア、そしてオペラの国イタリアと、世界の劇場で上演され、それぞれがすばらしい成果を収めていることは、ここに改めて記すまでもないことだが、日本に限ってみても七百回に近い公演を可能にしているのは、聴衆の支持あってのことをよく考えてみる必要がある。「夕鶴」は、「椿姫」などの名作が欧米では既に市民生活の中に定着しているように、それまで非日常的なものとして捉えられていたオペラという世界を、この一作によって日常的なものに変容させ得た稀有のオペラということが出来る。

民族の差を超え、人間としての普遍性を獲得しているこのオペラへの共感は、イタリアでの公演最後の日、全四回演奏を共にしてきたイタリアのオーケストラ団員たちからの“手紙の束”に象徴されているといえよう。彼等はその時、作曲者團伊玖磨に直接この共感を告げたかったのだ。彼等は公演の前、何回も時間をかけて練習し、本番を重ね、この作品を充分に理解した。たった一回だけ聴いてその作品を印象的に判断するのと決定的な違いがある。

團氏のオペラの根底には、一貫して流れる民族的共感への堅固な意志の力が読みとれる筈だ。52年の「夕鶴」に始まり、55年の「聴耳頭巾」、58年の「楊貴妃」、72年の「ひかりごけ」、75年の「ちゃんちき」、94年の「素戔嗚」、97年の「建・TAKERU」と、これまでの七つのオペラを考える時、このすべてに通ずる《通奏低音》または《固執低音》ともいえる国民的共感の基盤に突き当たらざるを得ない。ここにいう国民的とは、勿論せまい意味でのナショナリスティックなものではない。

オペラというものは台本によって書かれるものの、その台本を追ってドラマを作り上げる作業を氏は最も嫌悪する。あくまでそこには「音楽の自律性」が求められる。オペラにあって音楽自体は劇の伴奏、劇の説明であってはならない。台本に沿って言葉を音化していく方法で書くなら、オペラは十でも二十でも書けよう。しかし音楽の中に自律性を求め、そのために必然的に要求される《音楽の構築性》を獲得するためには、美しい旋律を次から次へと繰り出して来るだけに終始するような作品は、作曲家としての氏の理念がそれを許さなかった。

べートーヴェンがたった一曲しかオペラが書けなかったのは、その「理念」と「構築性」を前に、がんじがらめの自縄自縛に陥った結果であり、シューベルトがオペラ作曲家であろうと努力したに拘わらず、「構築力」の脆弱さの中に彼の美しいメロディが溶解してしまった結果、彼のオペラは劇場に定着出来なかった。シューマンもこの二律背反的な矛盾の中で、オペラは書いたものの、やはり成功しなかった。同じくブラームス、マーラー、ブルックナー、何れもシンフォニカーとしての成功はあっても、オペラ的思考は、音楽の自律性の前に消えていった。

 

 

 

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