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最長不倒距離の秘密

 

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辻井喬(作家・詩人)

 

團伊玖磨さんが、音楽の分野ばかりでなく文化全体にとって希望の星として“最長不倒距離記録保持者”として、今もその記録を伸ばし続けているのは何故だろう、と時々思う。

1949年に作曲された第一交響曲から、85年の「HIROSHIMA」という副題を持った第六交響曲までの歴史、52年の「夕鶴」から「聴耳頭巾」、「楊貴妃」、「ひかりごけ」、「ちゃんちき」、「素戔鳴」、「建・TAKERU」と続いたオペラの歴史を見ても充実した創作の持続の姿は誰にも真似ができないように思われる。

この高い質を持ったエネルギーの源はどこにあるのだろうと考えた時、私は彼が『團伊玖磨歌曲集』に書いた次のような言葉を想起した。彼はそこで

「歌は心の日記であり、仕事の故郷である。歌は私の居るところ何処へでも必ずついて来る。決して離れることのない伴侶である。」と言う。

ここで用いられている「歌」という言葉を私は広く音楽、あるいは芸術と理解しても良いのではないかと思う。

確かに彼は秀れて美しく典雅なメロディの創り手である。歌曲ばかりではない。今、私の手許にある120曲におよぶ童謡集を聴いても、そこには童心になりきった團伊玖磨の拝情が息づいているのだ。童謡を書く時、作曲家は無心に遊ぶ子供の心になっているし、恋する女のパートを書く時、彼は情念の虜になった女そのものになっているのだと思われる。これは、我国の「やつし」「みなし」の美学と言ったらいいだろうか。抽象的な表現を使えば人間への共感、ということができるだろう。

「歌は何処へでもついて来る」

という言葉は、團伊玖磨の生きている姿勢そのものの表現と言えるようである。実はこの共感、共生感覚の上に氏の知的洞察力が構成されているのだと私は思う。

知とはもともと温かくも冷たくもないもののはずだが、我国でしばしば、知と冷たさが同居しているように言われるのは、その知が輸入された知識に過ぎず、知を用いる人にとって本人の生活感情からそれが離れているからではないだろうか。その点、團伊玖磨氏の知は、自然体そのもののなかに存在していて、人間というリアリティを失ったことがないのである。言うまでもなく芸術には悪魔的な要素、毒がたくさん含まれている。そのような芸術創作活動に六十年を超える年月かかわってきて衰えを知らないのは、もしかするとこの自然体が基礎になっているからではないかと私は近頃思うようになった。

 

 

 

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