日下部:畑中先生はどうですか?
畑中:まだ團さんが若き頃ですね、戦後、サティのピアノ曲を中田君と連弾でしていたこと、覚えてらっしゃる?
團:ええ、覚えてますよ。
畑中:「梨の形をした3つの曲」というのを、大田黒先生のところから譜面を借りてきたんです。大田黒先生はサティをたくさん持ってらしたんですね、それで僕らにこれがいいよ、あれがいいよ、とご自分でお弾きになるんですよ、あの先生が素晴らしいと恩ったのは、ヴォルフでもシュトラウスでも完壁ではないけれど、「これ畑中君にいいから、どう?」なんてシベリウスの「逢い引き」なんてさあっと弾いて、「これ譜面貸してあげるから」といって。戦後サティなんて日本でまだ名前もいわない位の時代だったのを、文部省の試写室のホール、で「新声会」試聴会で弾いた。
團:中田さんと僕の連弾ですね、サティの「梨の形の曲」は日本初演をしました。
畑中:あの頃、ビデオとかレコーディングがあれば、これ珍品になったのに(笑)。
團:シベリウスのピアノ曲も僕はいくつも初演しましたよ。大田黒先生の刺激でね。
畑中:シベリウスを随分たくさん持っていらしたんですね。
團:ええたくさん持ってました。シベリウスのピアノのワルツなんて、すごくいいです。
畑中:だから團さんのピアノの腕は相当確かなんですよ(笑)。
團:今は全然駄目です。
小林:でも先生、先生の曲、ピアニストがみんな恐ろしく難しいっていいます(笑)
團:「コクトーに依るの八つの詩」の前の歌曲集は、全部自分が初演です。
郷土愛から生まれた作品
日下部:今日、唯一触れられなかった合唱のジャンルがあるんですが、これも一言触れておきたいと思うんですけれど。その口火という意味で、特に九州を題材にした曲が多いんですよね。これはやはり團先生の故郷というのが根底にあるんじゃないかと思ったりしますが。
團:その通りですね。でもその前に僕は自分で忘れられないような合唱の曲をいくつか、例えば「岬の墓」「原体剣舞連」そういったもの、或いは女声合唱の「燕の歌」とか「巴里小曲集」とか、これは少し粋すぎるかもしれない曲だけど。そういったのがあって、九州に優れた合唱団がいくつかあって、僕はもともと家の出が福岡ですから、九州に行ってはそこの合唱団と触れあっているうちに、書きましょうということになって。特に久留米の合唱団は僕が5年おきに作曲することになっていました。
畑中:「筑後川」ですね。
日下部:「筑後川」から始まって「海上の道」「大阿蘇」「玄海」と行くんですね。
團:そうですね。そこまでいって、そこまでは5年ごと。多少ずれはあるけれど、詩人が生きていればまだ続くはずだったんですが、詩人がそこで亡くなってしまったんです。
日下部:丸山豊さん。
畑中:あと北九州もいまなお毎年やっているんじゃないですか?栗原一登さんによるカンタータ。
團:やっています。毎年2月15日に決まっているんです。
畑中:盛大にやっている。
團:ええ、あと福岡のために書いた「筑紫讃歌」というのと長崎のための「長崎」と、伊万里に書いた「伊万里」という曲と、等々こざいます。