日本人として中国、朝鮮、東南アジアに学ぶもの
團:やはり、自分が東アジアに存在している訳ですから、どうしても最も自然に、東アジアから見た世界になるわけで。僕はあまりにもヨーロッパ一辺倒の日本の音楽界の傾向をみていて、となりの大国の中国であるとか、その向こうのシルクロードとか、そういった距離があってヨーロッパに届くものなのだから、いきなり今日ウィーンに留学して日本に帰ってきて他の世界を知らない、というのではなく、東洋というのは当然自分の血の中にも流れていますし。あまり難しい思想でなくて、シルクロードであるとか、東洋と日本の間の道とか距離というものをいつも考えているわけです。ですから敦煙に行って“飛天”を調べてみたり敦煌だけでなく、シルクロードの中の仏教遺跡を経巡って、それで飛天にたどり着いたり、随分辛い旅でした。それから、月から見えるただ一つの人間の建造物という万里の長城のほうぼうに立って、感動するものを音楽にしたわけです。
日下部:世界各地に行ってらっしゃいますが、一番多いのはやはり中国ですか?
團:そうですね。ヨーロッパと中国が半々ぐらいでしょうか。そのうち日本と中国の文化交流の大事さに気がつくようになって、今、日中文化交流協会というところの会長をして、働いているわけですね。ですから、中国に行く機会も多いし、年に3、4回は行っています。しかし僕は中国だけが好きなんじゃなくて、自分が東洋人として中国に学ばなくてはならないことが多いということ。同じように朝鮮、東南アジアに学ばなければならないことも多いし。ヨーロッパからは技術を徹底的に習いますけれども、後のことはもう少し東洋を大事にしたいと思っているんです。
畑中:作品表をみていますと、コンチェルトというジャンルをヴァイオリン・コンチェルト、ピアノ・コンチェルト、チェロ・コンチェルトなどが見あたりませんが、何かこう意図的に避けていらっしゃるわけではないんでしょうね?
團:まだコンチェルトを書けるだけの僕自身の勉強が足りませんですね。例えば、ピアノ・コンチェルトなどは何度書こうと思ったかわからない。しかし、始めてみると、例えばソロで始まるとなるとすぐにベートーヴェンの4番、オーケストラの大きな和音となると5番を思うし、ピアノでがんがん始めればチャイコフスキーのコンチェルトを思い出す。僕自身がそういうものを知りすぎているんで、やはり類似作品は書きたくないから、どうしようかなと思っているうちにどんどん年月がたってしまった。それから演奏での、華々しいヴィルトゥオーゾの技巧と自分の思想がそう簡単に合わないんですよね。やはり自分がもう少し外向的にならないとコンチェルトというのは書くのが難しいですね。まあいずれ…。
畑中:一曲くらいは書いてくださいよ。
團:自分でも演奏会でオーケストラ作品を1晩で振るときに、コンチェルトがないっていうのは困るんですよ。やはり交響曲の前にコンチェルトがあって、その前にオーケストラと歌の曲なんて置きたいでしょ。自分でも必要性にはせまられているんだけど。まあヴァイオリンのは小林さんとも相談して(笑)…
小林:もし、ヴァイオリン・コンチェルトを書かれるとしたら、長いのがいいですかね、短いのがいいですか、それとも中位のが…?
團:やはり余り長くない方がいいですね。人の作品を聞いていてもあまり長いのはちょっと、現代には難しいですから、まあ中位のところでしょうね。