ですから、團節というのは年がら年中頭で鳴っております。「建」なんかも、最初から最後までもう本当に團節が流れておりました。ですから、音楽、を聞いていると中にひたって波の中でより一層浸ることができるのです。
底辺にある心・魂が求めている“歌”
日下部:最近よく演奏をされている現田さんはいかがですか?
現田:僕はシンフォニーは今度、この「DAN YEAR 2000」のシリースで初めて4番、6番をさせて頂くんですが、今、小林先生もおっしゃいましたが、やはり楽譜を見ていると明らかに、團先生の曲だな、というのがよくわかります。僕は現代作品を演奏する機会が多いんですが、いっとき流行ったように、何かピアニッシモ(pp)で始まって、真ん中はぶあーっとやってまたピアノ(p)で終わるような現代音楽というのが(笑)流行っていた時期がありましたけれど、特注の打楽器とか楽器ばかり頼まなくちゃいけなくて、その演奏会をするためにオーケストラがきゅうきゅうしてしまうような曲がたくさんあったんです。そんなことに頼らず2管編成でも3管編成でも、とにかく歌えるメロディがあるっていうことは、僕はオーケストラに限らず、何よりも音楽の「基本のき」だと思うんです。それがいっとき、その時代の方向だったのかもしれませんが、旋律を否定するところから始まっていたような現代音楽がありましたけれど、やはり、人間が心で、魂で求めているのは、歌う、という根本的なことですけれど、團先生はそれを底辺に作ってくださっていると思います。今はコピーがありますから何でもありませんが、それこそ電話帳ほどあるような譜面を、手で書き込んでいくだけでもどれだけの時間がかかるんだろうかと。ましてやそれを自分の頭の中で、何もないところから生み出す作曲家の苦労というのは、本当に頭の下がる思いがします。僕らは再現芸術家にすぎませんから、作曲家のイデーというか、考えていることを具現化する、いつでも忠実な下僕でありたいなあと思っています。そして、同じ時代に生きている人間の一人として、ついていけるだけの作曲家として團先生がいらっしゃるということは、僕はすごく誇りに思っていることのひとつです。
日下部:交響曲作品では藤田さんが初演されている曲もありますね。この「日本からの手紙1、2、3」とありますがこれはどういう作品だったのでしょう?
藤田:1番は読売日響がアーサー・フィードラーとアメリカに演奏旅行に行ったときにかかれたものです。一方、私が64年、69年、74年と3回、青山学院の学生オーケストラをアメリカヘ連れていったのですが、その2回目の時に書いて頂いたのが「日本からの手紙第2番」、その後74年に書いて頂いたのが第3番です。すべてアメリカへの演奏旅行のために、團さんの作品を日本から手紙として持っていった、とそういうことになります。
日下部:それからオーケストラ作品の中に、日本を含めた東洋、例えば、シルクロードとか万里の長城、とか、最後のは「飛天繚乱」とか、東洋との縁が感じられますよね。