日下部:そうですか、それでは佐川先生。
佐川:あのコロスの件についてはですね、あの時点で日本のオペラであのようにうまくコロスを使った作品はまだなかったですよね。世代の断絶の話もでましたけれど、さっき畑中先生がヤナーチェクのことをおっしゃったけれど、「ちゃんちき」にもヤナーチェクの「利口な女狐」なんかと共通項がありますね。決して同じではないけれど。それからさらに一歩ふみだして、環境破壊の問題なんかもやんわりと提起もしているし、非常に好きな作品ですね。
畑中:現代に投げかけている根本的な問題が中に含まれていますね。
佐川:そうです、大事な問題がね。
畑中:それにやはり演出家によってそういう焦点ががらりと変わる可能性もあるし。
佐川:それに團先生は自然界の律ということをおっしゃってますね。自然界の律を認めて悟りの境地に達するとか、人間と大自然との関係などに触れながら、色々な問題提起をやっている。
日下部:ですから、きつねとかわうそが編し合いをする芝居なんだけど、編し合いをしながら、一種の平和其存みたいなことがあるわけですよね。そこへ人間が介在していくために、その世界が全く乱れてしまような、そういう風に記憶しているんですけれど。
佐川:伊藤先生はその辺、長くこのオペラをやっていらっしゃるから…
伊藤:私はそういう深い問題の中ではない外の役割でしたけど、楽しゅうございました。
日下部:オペラに関しては、その後、「素戔鳴」「建・TAKERU」があります。特に「建」は畑中先生がプロデュースをされましたが、一言お願いします。
「建」の再演を。素晴らしい歌をみんな聴き落としている。
畑中:僕はこれは現代の青年と全く共通の問題を、タケルという青年が持っていると理解しているんですね。ですから團さんもヤマトタケルノミコトという表記は全くおはずしになって、ただ一人の普遍的な青年の名前の「タケル」とした。で、この青年が持っている悩みというもの、平和の在り方というものに対して世界に訴えようとするお気持があるからこそ、この「TAKERU」というローマ字綴もある。皇国史観とか、よく批評に書かれましたけれど、僕としてはそういう気持ちは全くなくて、全世界の人達に訴えるべき平和の在り方、それはタケルの最後の痛切なモノローグに集約している、と僕は思います。しかしそこに行くまでに素晴しい歌がたくさんあって、今の日本のオペラはアリアがないとか、メロディがないとかっていわれていますけど、この中には、独立して歌って素晴しい歌、例えば「さねさし相模」のアリアは、今だに僕は毎日のように口をついて出てくるし、最後の「倭は国のまほろば…」のコーラスでも、あれは国民が全部歌える。本当に心から歌える歌だと思うんですけども、普通の方や、批評家の方は、国のまほろばなんていうと、皇国史観なんかに結び付けて考えちゃうようです。僕にとっては非常に意外な反応だったので、僕はこれは再演を重ね、普通のフランクな気持ちでこのオペラ「建・TAKERU」を受け取って頂きたい。團さんの気持ちはわかりませんが、僕はプロデューサーとして、普通の気持ちでこのオペラを世界の人に受け取って頂きたいと思いますから、何とか再演の努力をしたいな、と考えております。素晴しい歌がたくさんあるんですよ、それをみんな聴き落としちゃったと思います。