座談会
團伊玖磨の音楽をめぐって
伊藤京子(声楽家)
大和田葉子(フルート奏者)
現田茂夫(指揮者)
小林武史(ヴァイオリン奏者)
小山晃(評論家)
佐川吉男(評論家)
畑中良輔(声楽・評論家)
藤田由之(指揮・評論家)
日下部吉彦(評論家)※司会
團伊玖磨
日下部:團さんの多彩なジャンルと膨大な量の作品を俯瞰しながら、これまでいろいろな形でそれらと深く関わって来られた方をお招きして、團伊玖磨作品の真髄を存分にお話いただきたいと思います。それでは早速、まずオペラの作品について、畑中先生から。
畑中:私は、ずっとオペラに関わった仕事をしてまいりましたが、團さんのオペラ「楊貴妃」だけ残念ながらその時日本にいなかったのか、拝見していないのですけれども、あとは自分としては非常に丁寧に拝見、拝聴してきたと思います。團さんにはもちろん、オペラ、シンフォニー、器楽、たくさんあらゆるジャンルにわたって見事な作品がございますけれども、共通して一番底にあるのはやはり「声」というものが、根底に共通項としてあるように感じるんですね。というのは、やはり声というのは人間の存在を一番示すものである、まあ、赤ちゃんか生まれておぎゃあといった瞬間がもう声ですから、これは赤ちゃんが自分の存在を主張しているわけです。そういう自分の表現というものを声としてとらえて、團さんのどの作品を伺っても、そこの根底に僕は何か声というもの、命の、人間が存在を証明しうる、その声にのせてもちろんオペラは一番声を使いますし、歌曲もそうですけれど、シンフォニー、器楽にも何かその辺に共通したものがあるように思われるのですが、どうでしょうね。
日下部:はい。それは本当にその通りと思いますが、その「声」の点で伊藤先生は実際にお歌いになった経験が随分おありだと思いますが、一番最初の「夕鶴」を初めとして..
伊藤:はい。私はこの中で歌わせていただいのは「夕鶴」と「聴耳頭巾」それから「ちゃんちき」でございます。「聴耳頭巾」と「ちゃんちき」については初演を歌わせて頂いたと記憶しております。「夕鶴」は、たくさんの「つう」の方が皆さん名演、名唱をなさいまして、私は、時代的には、私の恩師である原信子先生、それから大谷洌子大先輩、それから三宅春恵大先輩、この後に続くというとおこがましいんですが、大体30年近く歌わせて頂きました。