これを山田は日本語に作曲するときの根本原則にし、かなり徹底して実践した。試しに『待ちぼうけ』の冒頭を考えよう。マチボウケはマが低く、チボウケが高く発音される。そこで山田は、マからチボウケに行くとき音程を三度上げるよう作曲し、音程の高低を言葉の抑揚にきちんと合わせる。いや、というよりも、言葉の抑揚にのみ従って旋律を導き出すのである。
そしてここに当然、山田の日本語作曲には、もうひとつの原則が付随してくる。一音符一綴音主義がそれである。
言葉の抑揚を厳密にとらえるとは、一音一音の高低を追いかけることだ。だからそれをきちんと譜面に書き表そうとすると、一音に少なくとも一音符が必要となる。たとえば『この道』の出だしの「コノミチハイツカキタミチ」なら、山田はその十二音に律義に十二個の音符を充てている。ひとつの音符に複数の音を詰めこもうとは決してしない。それでこそ、言葉が隅々まできちんと明確になるというわけだ。
こうした「日本語を正しく伝える」ための工夫に加え、さらに山田は「日本語を美しく歌い上げる」ための原則をも見出だした。
山田は言う。ヨーロッパの歌のうたい方は、音程が上がるときに音勢も漸強し、逆に下がるときには漸弱するのが基本である。ところが日本の伝統音楽を聴くと、民謡でも長唄でも仏教声明でも、音程を上げるときに漸弱し、下げるときには漸強している。これは無論、日本語を歌おうとするときの民族の長年の美意識の反映に他ならない。そこで山田はこの原則を自作の歌にしばしば適用し、漸強や漸弱の指示を楽譜にこまかに書き込んでいった。『からたちの花』の冒頭を取り上げれば、「カラタチノ」のカからラヘ音程が上がるところで漸弱、「ハナガ」のナからガヘ下がるところで漸強という具合である。
以上、山田が提案したこの国の言葉への作曲法は日本語の本質をとらえており、確実な普遍性を有している。山田以後の作曲家で、山田を超える日本語への作曲原則を打ち出せた者は、團を含め、ひとりも居らぬと言ってよいだろう。しかし、山田は自らの原則にあまりに忠実に振る舞おうとしたがゆえに、その日本語への作曲作品をやや窮屈にする場合があったのも、また否めぬ事実となろう。
アクセントに完全に忠実に上下する旋律、一音符一綴音、旋律の上がり下がりと音勢の漸弱・漸強との正確な対応…。それらの原則を完壁に実践しようとすれば、どうしてもゆったり気昧のテンポの中で、微に入り細を穿つような歌しか作れなくなる。精巧な宝石箱の如くミニチュアリスティックに彫琢され、そこにこまごまとした感情の襲を盛り尽くした短めの歌曲は生み出せても、劇的なテキストを扱うバラード風の長編歌曲や、ましてやオペラとなると難しくなってくる。それでも山田は上演に二時間を要する『黒船』のようなグランド・オペラを作曲しはしたのだが、それに対する團の批評は手厳しい。
「歌劇では、舞台上で人間のあらゆる感情の綾が演じられます。大きな喜びも、深い悲しみもあるし、あわてている人間も、のんびり寝ている人間もいる。それらは曲のテンポの変化で表現されます。逆に、その変化がなければ、どんな感情も動きも、一様にのっぺりしたスローモーションになってしまうのです。