日本財団 図書館


しかも、ここで邦楽器を導入してはいるが、彼は、そこから生ずるおそれのある陰湿さを排してむしろ乾いた表現を求め、それを通じて「ひかりごけ」におけるモノクロマティクな音の集合累積に対応し得るひとつの表現手段を、手中にしたのであった。さらに、前作での極限状態におかれた人間という非日常的な世界とは別に、すでに日常的なところにまで潜入してきている人間的なふたつのテーマ、すなわち親子の間の世代的なギャップと、地球上の生態系に不合理な介入をして、それを破壊しつつある横暴で利己的な人間ということへの批判をとりあげ、人びとの心の琴線にふれる間いかけも、そこではなされているのである。

翌1976年に、彼は、第1回日本音楽家代表団の団長として、中国を訪れている。1966年に劇団「前進座」の音楽顧問として中国に旅し、73年には日中文化交流協会の常任理事にも迎えられていた彼であるが、そこで、あらためて新たな文化的思潮を体感することになり、それによって、むしろ日本そのものへの自覚を深めることになったのは事実であろう。1985年の彼にとって最初の具体的標題をもつ交響曲、第6番「HIROSHIMA」も、そうした中から生みだされたとも云えるし、そしてそれが、のちのオペラ第6作「素戔鳴」(1994)と第7作「建・TAKERU」(1997)にも結びついているとも考えられよう。第5番から20年を距てての第6交響曲では、それまでの多様なジャンルでの蓄積がいかされているとしても、彼の交響曲としては新たな出発点となっているようにも見える。それは、世界最初の原爆被爆都市の悲劇への挽歌ではなく、犠牲者の鎮魂や平和への祈りとともに、廃嘘からこの町を再建した広島の人ぴとの偉大な努力とエネルギーへの讃歌であり、風土のもつ永遠の美への思いもこめられている。そこで見のがせないのは、オーケストラに初めて能管と篠笛を加え、音色的な欲求と楽器のもつ力とともに招魂と霊的な意味を託していることと、3楽章構成の終曲にソプラノ独唱を加え、イギリスの詩人エドマンド・チャールズ・プランデンの詩を歌いあげていることであろう。それは、そこに歌われている“人類再生の栄光”への共感をしめしたものでもあるが、作品は、絶対音楽としての交響曲をめざしたもので、描写性や標題音楽的性格をそなえてはいない。しかし、かつてのフォルムの追究の道からはかなり離れ、より目由な道を歩もうとしていることが示唆されてはいるが、それが決定的な変化なのか、作品がしめる位置の特異さのためなのかは、やがて登場するであろう第7交響曲に接するまで結論することはできまい。一方、2作のオペラで、彼が古事記・日本書紀の中の力溢れるふたりの男性を選んだということも興昧深い。もっとも、その素材に対する関心は早くからあったようであるが、そこにめざされているのは、けっしてたんなる神話のオペラ化ではなく、そこでは、現代にまで敷衍して考えられるまさに“男”の生き方や、力ある人間の宿命といった普遍的な問題を通じて、人間社会との結びつきが図られているのである。もちろん、戦後の教育体制の中で、“記紀”そのものに対してさえ理解する人が少なくなっている現在の日本では、多少対応に苦しむ人があることは否めないが、そうした中で、これらの作品においてさえ、構成的な音楽として書かれたオペラとしての彼の理念が、いささかも曇るところなくいきているのは見のがせまい。

(ふじたよしゆき/指揮・評論)

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION