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岩手県・川崎村の皆さんと

 

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長崎県・対馬の皆さんと

 

その確信―実感は、この間北海道から沖縄、八重山まで全国六百箇所にも及ぶ各地の観客との出会い、それを主催した実行委員会の皆さんのエネルギーに接した中から生まれたものである。

当初は地域に入っていっても「お金をとって劇を見せるのか?そのプロのチケットをなぜ私たちが売らなければならないのか?」「福祉の世界に営利を持ち込むのか?なぜボランティアとしてアマチュアでやらないのか」といった疑問に「文化を創造し、高めたり広めたりするには、教育のために学校の先生や、病気を直すためのお医者さんが必要なのと同じです。そのためにはろう者の作る演劇にも専門的集団が必要なのです」といった話し合いから始るのが普通だった。そのような中から福祉と文化を結ぶ地域作りとしてデフ・パペットの上演を位置付ける実行委員会が各地に成立していった。その後には実行委員会の場が我々の勉強の場となったのである。「日本では文化は育たない」とかいわれるが、六百箇所を越す各地の皆さんがこの二〇年にわたってデフ・パペットを支え育ててきてくれたのである。その方々に感謝するとともに、日本の社会は世界と比較しても信頼できる社会なんだと思う。

今、僕は半分外部からデフ・パペットを見る立場にあるが、創造面でも、運営面でも、当初からみると考えられなかった成長を見せている。よく障害者の平等参加と言うが、デフ・パペットの場合は、ろう者も聴者も平等に全員が運営上の責任をもって活動する態勢を続けてきた成果ではないかとおもう。創造面では当初は当たり前かもしれないが、人形操作のパートのみに止まり、それも手とり足取り教えるところから出発した。それがいまでは作、演出、舞台監督を始め、旅公演に際しては、仕込み、照明から、移動のための人員、トラックの運転までろう者がこなしているのである。舞台の上での活動だけでなく縁の下を支えているのである。こんな団体は一朝一夕では生まれない。二〇年の成果であろう。ろう者と聴者の協同という理念の成果であろう。

デフ・パペットの成長と平行して、日本ろう者劇団と、ろう者全体の演劇活動の発展も見逃せない。ろう者自身の自分たちの文化をつくり育てていく強い熱意が、かっての社会から切り捨てられていた、劇を演ずる権利、見る権利を獲得したのである。この二〇年間、劇団も観客もゼロから出発成長したのである。

僕たちの現代人形劇自身、戦後出発して、社会の中に広まり定着を見せたものではあるが、ろう者の演劇はまったくのゼロから出発したと言ってよい。ちいさな、ちいさな宇宙ではあるが、その誕生から成長まで実際にこの目で見られたことに感激する。文化は作りたい、触れたいという意欲さえあれば条件が悪くとも実るものだということを実証したのである。演劇の必要性、可能性についてのこれだけの貴重な実例は、社会全体でもっと評価してよいと思う。

 

 

 

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