もうひとつ気になるのは、この原稿を書くために調べてみた最近のスケジュールが、あまりにも忙しすぎるのでは、と思えることだ。ただジェット機で世界中を忙しく飛び回り、年の大半がホテル暮らし、ということ自体が問題ではない。いまどきそんな指揮者はきっと珍しくないだろうから。私が気になるのは、短期間にあまりにも多くのプログラムを手がけていることである。直前に演奏の地に到着し、数日の練習で本番を迎えるのは、カルロス・クライバーやギュンター・ヴァントでないかぎり、今日では避けがたい。だからたいていの指揮者は同じシーズンに持ちまわる曲目を限定する。協奏曲の類は先方の都合で変わらざるをえないとして、メインとなる曲は何曲かにしぼるのだ。
広上淳一の驚異的なところは、スケジュール表をいくら眺めても、そのような方向が読みとれないことだ。
たとえば今年7月に指揮した演奏会は8回で、曲目はのべ23曲だが、実際の曲数は19にも達する。
しかも交響曲および交響詩8曲(のべ10曲)のうち、昨年秋からのシーズンに演奏した記録があるのは2曲しかない(プログラムの記載がないリンブルク響のドイツ演奏旅行でやっていれば別だが)。
こんなことが実現し、可能になるのは、聴衆やオーケストラに対する責任感とサービス精神(相手の希望にはできるだけ応じたい)、表現意欲と勤勉さ(やりたい作品は山ほどあり、「修行中の身」としてはまだまだレパートリーを拡げなければ)、それに図抜けた学習能力と指揮能力のゆえだろう。
しかし近頃はときどき終演後に明らかに疲労の影が見えることがあるし、たまには「勉強不足では」との声が聴かれることもある。
昨年2月に「待望の」結婚を果たした広上は、「ずいぶん変わった」とも言われる。「つきあいが悪くなった」とか、「昔からの友に冷たい」というのだ。
しかし私はこうした見方は一面的すぎると思う。超人的ではあっても超人そのものではないのだから、指揮者は指揮者としての本業を最優先して当然である。人づきあいより、休息や勉強を。オーケストラの楽員との対等なつきあいも、民主主義的には良いことだが、もともと民主主義的ではない職業にとっては、いつまでもプラスになるとはかぎらない。超人性を要求される指揮者という仕事には、ある種の超然とした冷たさも必要なのだ。
愛と矛盾しかねない客観性、場合によっては義理や人情も断つことができる冷たさ、それも時には自分自身に対する冷たさ。それが「愛の伝道師」とバランスよく結びついたときこそ、真の大指揮者が誕生するときだ。
1箇所に長く腰を落ちつけて歌手の準備から本番まで徹底した練習ができるオペラの仕事は、この売れっ子の指揮者にとって今や至福の時間だろう。まして藤沢は実家の近くで、出身高校の所在地でもある。愛と残酷がお互いを産み出しつつ葛藤するドラマと、自己告白的・感情過多でありながらきわめて冷徹かつ綴密に書かれた音楽。プッチーニの《ラ・ボエーム》は演奏者に全身全霊を要求しつつ、しかし感情だけに溺れることを許さない。そのような作品は、2000年9月の広上淳一が立っている地点を鮮やかに映し出すことになるだろう。
私事になるが広上淳一や高関健は、ほぽ筆者の同世代の指揮者である。かつて輸入されてそれなりには定着した西洋音楽を彼らがどのように理解し、表現してゆくのか、またそれが前後の世代とどうちがうのかは、したがって他人事ではない。
それにしても、こちらは勤め人として「中堅」であるのに、同世代がまだ「若手」の部類に入るとは、羨むべきことなのか、こちらの想像を絶するほど恐ろしい職業なのか。
(文中敬称略)
(もりやすひこ 音楽学・西洋音楽史、くらしき作陽大学助教授)