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そこにいるのは指揮台の上と同じ、表現意欲の塊のような人物だ。あたかも眼前に現われるすべての物事や人に負欲な興味を抱き、たえず全身全霊でかかわってゆく、まるでマーラーの《交響曲第6番》(日本フィル定期での公式デビュー曲)のような人物。見事な物まねや声帯模写、大傑作から駄洒落や下ネタまでをも含む広範囲のジョーク(いずれも、すぐれた音楽家には、少なくとも必要悪)。しかしその影にときおり垣間見えるその実態は、どうやら真面目かつ律儀で義理堅く、純真で傷つきやすいようだ。

1997年9月からロイヤル・リヴァプール・フィルの首席客演指揮者、1998年からマーストリヒト(オランダ)のリンブルク交響楽団の首席指揮者、それに日本フィルの正指揮者(今年8月に辞任)を兼任した広上は、他にも北米各地、イギリス、オーストリア、オーストラリア、スイス、スウェーデン、スペイン、フランス、フィンランド、ベルギー、ポルトガル、マレーシアなどと、文字通り世界中のオーケストラに忙しく客演をつづけている。ある意味ではきわめて順風満帆で、超一流のオーケストラに定位置を得るのも、純粋に時間の問題だろう。

だが気がかりがないわけではない。

「愛の伝道師」は両刃の剣でもある。愛が足りなければ気乗りのしない演奏になる可能性大だし、愛が多すぎると大多数はついていけないようなクサイ演奏になってしまう。しかも大多数のオペラが結論づけてきたように、「愛」というのはもともとコントロールしがたいものなのだ。広上の演奏に当たり外れがあると感じられるのも、ほとんどいつものように、同じ演奏をめぐってオーケストラのなかにも聴き手のなかにもかなり激しい賛否両論が巻きおこるのも、このことと無関係ではない(何年か前、東京の某オーケストラではこの指揮者の評価をめぐって暴力事件まであったらしい。他方、聴き手の評価が真っ二つに分かれたことで印象が強いのは、1997年1月の日本フィルで演奏されたマーラーの《交響曲第2番》で、筆者はこの演奏については否定派のほう)。もちろん生きた人間がやる音楽なのだから、いつも同じ平均点などは願い下げなのだが、広上の場合は、人並み外れた指揮者としての能力ゆえに、技術的な平均点も高く、音楽的にそうとう無茶なことでもできてしまうから、ことは複雑だ。

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